ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エゼキエル書7章

聖書日課 エゼキエル書7章(新共同訳 旧約pp.1303-1305)

 本章には、終末の裁きの預言が記されている。聖書は、明確に、全ての罪が裁かれる日が来ると宣言している。それが「終わり」の日である。

「主の言葉がわたしに臨んだ。『人の子よ、言いなさい。主なる神がイスラエルの地に向かってこう言われる。終わりが来る。地の四隅に終わりが来る。今こそ終わりがお前の上に来る。わたしは怒りを送り/お前の行いに従って裁き/忌まわしいすべてのことをお前に報いる』」(1~3節)。

 しかし、私達はこのことをどれくらい真剣に受けとめて生きているだろうか。私達の日常は、余りにも目の前のことで一杯になっているのではないか。多くの人は、目に見えるこの世のことで一杯で、「終わり」の日が来るなど夢物語のように思っているのではないか。

 しかし、「終わり」の日は必ずやって来ると聖書は言う。そして、全世界の全ての罪が裁かれる。

「…そのとき、お前たちは/わたしが主であることを知るようになる」(4節)。

 これは警告である。私達がそのような形で主を知ることがないようにという主なる神の叫びである。主なる神は、私達が裁きを通してではなく、主の赦しと恵みを通して主なる神を知り、信じ、救われるように願っておられる。そのために、主イエス・キリストを十字架にかけて下さった。

 十字架は主なる神の裁きそのものである。主なる神の独り子イエス・キリストが、私達の身代わりに十字架の上で裁かれて下さった。それ故、十字架にかかられた主イエス・キリストを信じる私達は、信仰によって既に「終わり」の日を迎えていると言うことが出来る。そして、そこから新しい命によって生かされる人生が始まっている。

 使徒パウロは言った。

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(コリントの信徒への手紙二5章17節)。

 これが十字架を信じる私達の認識であり確信である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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