聖書日課 エレミヤ書3章(新共同訳 旧約pp.1177-1180)
イスラエルの人々が陥った罪、それは真の神を拝みつつ他の偶像も同時に崇めるという、いわゆる宗教混交の罪である。それは、約束の地カナンに元々存在した土着の宗教で、神殿男娼や神殿女娼との性的交わりや人身御供などを伴う乱れた宗教だった。
主なる神は、イスラエルの人々がそのような罪に陥ることがないように、前もって警告を与えられた。しかし、彼らは主なる神の御声に逆らい、土着の人々との交わりを通して、彼らの偶像を拝むようになってしまった。
尤も、こういうあり方は、日本ではごく普通のことだから、特に罪意識を感じることはないかも知れない。しかし、聖書は、主なる神と人の関係を「夫」と「妻」に喩えている。聖書において、主なる神を信じるとは、主なる神と結婚することであり、主なる神と一つとされ、全てを委ねて共に生きることである。それ故、主なる神と結ばれた私達が他の偶像を拝むことは、「夫」に対する裏切りであり、姦淫の罪を犯すことに喩えられる。
「わたしは思っていた。『子らの中でも、お前には何をしようか。お前に望ましい土地/あらゆる国の中で/最も麗しい地を継がせよう』と。そして、思った。『わが父と、お前はわたしを呼んでいる。わたしから離れることはあるまい』と。だが、妻が夫を欺くように/イスラエルの家よ、お前はわたしを欺いたと/主は言われる。裸の山々に声が聞こえる/イスラエルの子らの嘆き訴える声が。彼らはその道を曲げ/主なる神を忘れたからだ」(19~21節)。
主なる神への信仰が蔑ろにされる社会では、目に見える夫婦の関係も軽んじられて離婚が蔓延る。現代は、まさにそういう時代である。だから、夫婦は、共に主の御前に謙り、主なる神としっかり結ばれていることが大切である。
その一方で、主なる神は、ご自分を裏切り続けるイスラエルの人々に向かって、なおこう呼びかけられた。
「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす」(22節)。
主なる神の愛と誠実は、決して変わることはない。これは、現代の日本に生きる私達への呼びかけの声でもある。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの御手の中に握り、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。
主よ、心が揺れ動き、自分の思いであなたのところに帰ることが出来ない私達、それどころか、自分の罪があなたとの間の大きな壁となってしまっている私達に、あなたは語りかけて下さいました。「背信の子よ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす」と。
あなたは、この罪の壁を打ち破り、大きな温かい御手で、私をつかみ、あなたのところに引き寄せて下さいました。自分であなたのところに帰ることが出来なかった、このような者をあなたは握って下さいました。だから帰ることが出来ました。
主よ、今もあなたは、心が揺れる私達を握って下さっています。あなたが握って下さっているから、揺れる心が落ち着きます。御手の中で堅く立つことが出来ることを心から感謝致します。
主よ、どのようにしてあなたのところに帰ったらよいか分からず途方に暮れるお一人お一人のところに今日、あなたご自身が訪れて下さい。その心に親しく語りかけ、あなたのご臨在で支え、導いて下さいますよう、心からお願い致します。
感謝して尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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