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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 ヨハネの黙示録3章

聖書日課 ヨハネの黙示録3章(新共同訳 新約pp.455-457)

 3章には、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの教会へのメッセージが記されている。

 まず、サルディスの教会に対して、イエス・キリスト「あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」(1節)と言われている。サルディスの教会でも、礼拝が献げられ、様々な活動をしていたかも知れない。もしかしたら他の教会よりも活発であったかも知れない。にもかかわらず、彼らは「わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない」(2節)と言われている。

 私達の行いを全うするのは聖霊である。私達の行いは聖霊によらなければ、主なる神に受け入れられるものとはならない。これは、聖霊の実(ガラテヤの信徒への手紙5章22節)を結んでいなかったことに対する指摘である。聖霊の実は、人間の努力によってではなく、イエス・キリストに繋がっている時に結ばれる(ヨハネによる福音書15章5節)。それ故、彼らはこう言われている。

「だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ」(3節)。

 次に、フィラデルフィアの教会への手紙が記されている。7つの教会の中で、この教会だけが唯一非難されず、称賛だけが述べられている。どんなに素晴らしく力強い教会かと思いきや、こう記されている。

「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった」(8節)。

 彼らは、この世的に見て、決して強い教会であったわけではない。しかし、だからこそ、彼らはいかなる時にもイエス・キリストに拠り頼み、イエス・キリストの御言葉を守り続けた。また、イエス・キリストの御名を否定することも、イエス・キリストを疑って不平不満を言うこともなく歩み続けた。それ故、イエス・キリストは、彼らの前に誰も閉めることが出来ない門を開けられた。彼らの前にはいつも希望があり、道が開かれていた

 一方、ラオディキアの教会は、この世的には豊かで強い教会だった。ところが、彼らは「熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている」(16節)と非難されている。彼らは、「わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない」と言って、実は「自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていな」かった(17節)。それ故、こう言われている。

「わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ」(19節)。

 イエス・キリストは、或る教会を称賛し、或る教会を叱責する。しかし、全ての教会を愛しておられる。愛するが故に、善いことを誉め、悪いことを叱られる。そして、全ての教会、全てのキリスト者に対して、こう言われる。

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように」(20~21節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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