第9編に続いて、「神に逆らう傲慢な者」が蔓延り、正しい者や「貧しい人」を虐げる状況が訴えられている。
「主よ、なぜ遠く離れて立ち/苦難の時に隠れておられるのか。貧しい人が神に逆らう傲慢な者に責め立てられて/その策略に陥ろうとしているのに」(1~2節)。
ただ、一つ注意しておきたいのは、次の聖句である。
「神に逆らう者は自分の欲望を誇る。貪欲であり、主をたたえながら、侮っている。神に逆らう者は高慢で神を求めず/何事も神を無視してたくらむ」(3~4節)。
「神に逆らう者」が、「貪欲」で、「高慢」で、「神を無視」する者であるというのはよく理解出来る。しかし、その一方で、「主をたたえながら、侮っている」とも言われている。これはどういうことだろうか。
「神に逆らう者」が、見るからに悪そうな姿をしているとは限らない。口だけ、形だけの信仰というものもある。それどころか、世間的には立派な人物と言われていることさえある。却ってその方が、本物の悪かも知れない。だからこそ、そのような現実を経験するとこう思ってしまう。
「不運な人はその手に陥り/倒れ、うずくまり/心に思う/『神はわたしをお忘れになった。御顔を隠し、永久に顧みてくださらない』と」(10~11節)。
それでも、この詩の作者は、主に叫び、このように祈っている。
「立ち上がってください、主よ。神よ、御手を上げてください。貧しい人を忘れないでください。なぜ、逆らう者は神を侮り/罰などはない、と心に思うのでしょう。あなたは必ず御覧になって/御手に労苦と悩みをゆだねる人を/顧みてくださいます。不運な人はあなたにすべてをおまかせします。あなたはみなしごをお助けになります。逆らう者、悪事を働く者の腕を挫き/彼の反逆を余すところなく罰してください」(12~15節)。
あなたは現実の不条理の中で、何を信じ、何を訴え祈るだろうか?
西原新生バプテスト教会
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