聖書日課 詩編119編161~168節(新共同訳 旧約pp.967-968)
真に「恐れる」ものは何か? 信仰にとって、これは非常に重要な問題である。主なる神を信じるというのは、主なる神を「恐れる」ということがあってこそ、真実なものとなる。
「(シン)地位ある人々が理由もなく迫害しますが/わたしの心が恐れるのはあなたの御言葉だけです。仰せを受けてわたしは喜びます/多くの戦利品を得たかのように。わたしは偽りを忌むべきこととして憎み/あなたの律法を愛します。日に七たび、わたしはあなたを賛美します/あなたの正しい裁きのゆえに。あなたの律法を愛する人には豊かな平和があり/つまずかせるものはありません。主よ、わたしは御救いを仰いで待ち/あなたの戒めを実行します。わたしの魂はあなたの定めを守り/それをどこまでも愛します。あなたの定めと命令を守っています。わたしの道はすべて御前にあるとおりです」(161~168節)。
勿論、この場合の「恐れ」は、〈畏れ敬う〉という意味で、不安と恐怖に駆られるということは全く違う。その意味で、この詩人は、主なる神とその「御言葉」を真に「恐れ」ていた。それ故、こう告白した。
「地位ある人々が理由もなく迫害しますが/わたしの心が恐れるのはあなたの御言葉だけです」。
「地位ある人々」とは、社会の中で何らかの権力を持つ人々である。そのような人々から「理由もなく迫害」されたとしたら、「恐れる」のも不思議ではない。しかし、詩人はどこまでも主の「御言葉」を「恐れ」た。それは、詩人が主とその教えを心の底から信頼し、「愛し」ていたからである。
「わたしの魂はあなたの定めを守り/それをどこまでも愛します」。
信じること、恐れること、愛すること、これらは主なる神への信仰の大事な要素であり、このような信仰が、人を「恐れる」ことから私達を解放する。主イエス・キリストもこのように教えておられる。
「人々を恐れてはならない。…体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイによる福音書10章26~28節)。
西原新生バプテスト教会
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