イスラエルの人々が、長年の宿敵「ミディアン人」を打ち破ったギデオンに、自分達を「治めて」もらいたいと願い出るのはごく自然なことであった。
「ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください」(22節)。
しかし、ギデオンはその申し出を断った。
「わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる」(23節)。
「主があなたがたを治められる」。「さすが信仰の勇者ギデオン。素晴らしい謙遜の姿…」と言いたいところだが、実はそうでもなかった。
その代わりに、ギデオンは、人々に「戦利品の耳輪」を要求した。
「あなたたちにお願いしたいことがある。各自戦利品として手に入れた耳輪をわたしに渡してほしい」(24節)。
勿論人々は喜んでギデオンの申し出に応えた。こうして集まった耳輪などの「金」で、ギデオンは「エフォド」(大祭司が着用する服)を作り、「自分の町オフラに置いた」。
「人々は、『喜んで差し上げます』と答え、衣を広げて、そこに各自戦利品の耳輪を投げ入れた。彼の求めに応じて集まった金の耳輪の目方は、金千七百シェケルで、そのほかに三日月形の飾り、垂れ飾り、ミディアンの王たちがまとっていた紫布の衣服、らくだの首に巻きつけてあった飾り物があった。ギデオンはそれを用いてエフォドを作り、自分の町オフラに置いた」(25~27節)。
実は、これがイスラエルにとっても、「ギデオンとその一族にとって」も大きな「罠となった」。
「すべてのイスラエルが、そこで彼に従って姦淫にふけることになり、それはギデオンとその一族にとって罠となった」(27節)。
恐らくギデオンは、大祭司が着る「エフォド」を自分のために作り、個人崇拝を励行したのだろう。こうして、自分の家に帰った彼は、「多くの妻」や「側女」を娶り、「七十人」もの「息子」をもうけた。その姿はあたかも王のように見えたことだろう。
つまり、信仰の勇者ギデオンは、主に栄光を帰することが出来なかった。そして、その高ぶりが、やがてギデオンの一族とイスラエル全体に大きな災いをもたらすことになった。まさに「痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊」と言われている通りのことが起きてしまったのである(箴言16章18節)。
「主は不遜な者を嘲り/へりくだる人に恵みを賜る」(箴言3章34節)。
この御言葉が真理であることを、しっかり心に刻みたい。
西原新生バプテスト教会
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