聖書日課 創世記6章(新共同訳 旧約pp.8-9)
6章から、ノアの箱舟の物語が始まる。11節に「この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた」と記されているが、イエス・キリストは、このことを次のように説明している。
「洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである」(マタイによる福音書24章38~39節)。
これは、「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだり」するのが全て悪いということではない。問題は、何を最も大切なこととして生きていたかということである。ノアの時代の人々は、主なる神を第一にして生きておらず、主なる神を2番目3番目にしてしまっていたのである。
キリスト信仰とは、イエス・キリストを第一にし、イエス・キリストを中心に生きることである。それ故、信仰には常に、何を一番にするかという戦いがある。主なる神がノアに箱舟を造るように言われた時にも、戦いがあったに違いない。何故なら、その箱舟は、長さ300アンマ(約135m)、幅50アンマ(約22.5m)、高さ30アンマ(約13.5m)もある大きなものであり(15節)、とても片手間で出来るようなものではなく、本気で、人生をかけて取り組まなければならない大仕事だったからである。
9節に「ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」と記されている。それは、ノアが主なる神の呼びかけに対して、本気で、人生をかけて応答しながら生きたことを意味している。
私達も、主なる神の御声を聞いていく時に、ノアと同じような戦いがあるのではないか。その時、何を一番大切なこととしているかが問われる。その信仰が本気であるか、人生をかけてもよいというようなものであるかが試される。それ故、信仰の生涯を全うするのは、自分の力では不可能であり、主なる神に全身全霊で拠り頼んでいかなければならない。
「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」(22節)。
これが、全身全霊で主なる神に拠り頼み、主なる神に人生をかけて生きたノアの信仰の生涯であった。
西原新生バプテスト教会
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