大木 英夫『ピューリタニズムの倫理思想――近代化とプロテスタント倫理との関係』東京: 新教出版社, 1966年, p.255
「ピューリタンが家庭を重んじたことは、ピューリタンの宗教的個人主義と強い緊張を保っている。バンヤンの『天路歴程』の第一部は、宗教的求道が家庭的なものと対立した形で示されている。しかしそれはただちに家庭の否定を意味しない。『天路歴程』には第二部があり、そこでは家族全体が、夫クリスチャンのあとを辿る妻クリスチアナの指導のもとに求道の道をすすむ。この妻は夫の家庭を治める責任の典型的な代行者であった。ピューリタンの改革運動は、個人的な生の改革から、社会の基礎単位としての家庭の改革に進展した。これは前に引用したテイラーが見るように、遂には国家全体の改革に向かうのである。それは家庭の契約化から国家の契約化、つまり契約社会化の進行であったのである」