ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ヨエル書1章

聖書日課 ヨエル書1章(新共同訳 旧約pp.1421-1422)

 ヨエル書は、いなごによる災害を預言した書として知られている(4節)。しかも、その被害は尋常では考えられないほど大きなものであった。

「一つの民がわたしの国に攻め上って来た。強大で数知れない民が。その歯は雄獅子の歯、牙は雌獅子の牙。わたしのぶどうの木を荒らし/わたしのいちじくの木を引き裂き/皮を引きはがし、枝を白くして投げ捨てた。泣き悲しめ/いいなずけに死なれて/粗布をまとうおとめのように。献げ物の穀物とぶどう酒は主の宮から断たれ/主に仕える祭司は嘆く。畑は略奪され、地は嘆く。穀物は略奪され/ぶどうの実は枯れ尽くし/オリーブの木は衰えてしまった。農夫は恥じ、ぶどう作りは泣き叫ぶ。小麦と大麦、畑の実りは失われた。ぶどうの木は枯れ尽くし、いちじくの木は衰え/ざくろも、なつめやしも、りんごも/野の木はすべて実をつけることなく/人々の楽しみは枯れ尽くした」(6~12節)

 何という災害、何という困窮だろうか。この事態を一体どのように乗り越えていけばよいのか。その時、ヨエルは全ての国民に次のように呼びかけた。

「断食を布告し、聖会を召集し/長老をはじめこの国の民をすべて/あなたたちの神、主の神殿に集め/主に向かって嘆きの叫びをあげよ」(14節)

 この恐ろしいほどの災害の中で、ヨエルは、主なる神に向かって嘆きの叫びをあげるよう勧めた。不安、恐怖、怒り、疑心暗鬼といった思いで一杯になった時、私達はそれをどこに向ければよいだろうか。人だろうか、社会だろうか、それとも運命だろうか。そうではない。天地の造り主なる神であるとヨエルは教えた。

「祈りや信仰なんて何の役にも立たない」と言う人がいるかも知れない。しかし、本当にそうだろうか。物や環境の復興と共に大切なことは、信仰の回復である。或る意味で、このような災害からの真の復興は、主なる神への立ち帰りにあると言える。「この国の民をすべて、あなたたちの神、主の神殿に集め、主に向かって嘆きの叫びをあげよ」。これは私達とこの国に対する呼びかけでもある。