聖書日課 ホセア書3章(新共同訳 旧約p.1406)
「夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ」(1節)。主なる神は何と無茶なことを言われるのかと思うかも知れない。口で言うのは簡単だが、実際にはこんなに苦しく痛ましいことはないだろう。しかし、この言葉には続きがあることを忘れてはならない。
「イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように」(1節)
主なる神ご自身が、自分を捨てて他の神々に走ったイスラエルの人々をなお愛された。その愛を伝えるために、主なる神はホセアにそのように命じられたのである。
ホセアは、男から男へと渡り歩いた末に、ボロボロになって捨てられ、奴隷として売られてしまっていた妻ゴメルを買い取って、再び妻として迎え入れた(2節)。そして、彼女に「お前は淫行をせず、他の男のものとならず、長い間わたしのもとで過ごせ。わたしもまた、お前のもとにとどまる」(3節)と告げた。
何故ホセアはここまで真実で誠実な愛をゴメルに向けることが出来たのだろうか。それは、彼が主なる神の真実で誠実な愛を心から信じていたからに違いない。そうでなければ、とても出来ることではない。
ホセアが身をもって示した愛は、私達のために御子イエス・キリストを十字架にかけられた父なる神の愛だった。主なる神は、ホセアの妻ゴメルのように主なる神に逆らい、罪の奴隷となっていた私達をなお愛して、御子イエス・キリストの血によって贖って下さった。それ故、聖書はこう勧めている。
「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」(ガラテヤの信徒への手紙5章1節)
あなたはこの主なる神の真実で誠実な愛にどのように応えるだろうか。