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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書66章

聖書日課 イザヤ書66章(新共同訳 旧約pp.1169-1171)

 かつて主のために神殿を建てたソロモン王は言った。

「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください」(列王記上8章27~28節)。

 時々、私達は思い違いをすることがある。私達が主なる神を喜ばせ、私達が主なる神のために何かを成し遂げることが出来ると。そして、あたかもそれが信仰深いことであるかのように考える。「私はこんなに奉仕している」「私はこんなに聖書を読んでいる」「私は沢山献金している」と。

 ソロモンは、そういう思い違いが起こり得ることに気付いていたのかも知れない。だからこそ、壮麗な神殿の完成式典の場で、このような祈りを献げた。

 信仰にとって第一に大切なことは、私達が主なる神のために何かを為すことではない。主なる神が私達のためにして下さったことに目を留めることである。そして、私達にとって大切なことは、主なる神を喜ばせることではなく、私達が主なる神を喜ぶことである。

「母がその子を慰めるように/わたしはあなたたちを慰める。エルサレムであなたたちは慰めを受ける。これを見て、あなたたちの心は喜び楽しみ/あなたたちの骨は青草のように育つ」(13~14節)。

 天地は主なる神によって造られた。その主なる神が、あたかも「母」のように、私達を抱きしめ、「慰め」、養い育てて下さる。私達の心が「喜び楽し」むために。

「主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたたちはどこに/わたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか。これらはすべて、わたしの手が造り/これらはすべて、それゆえに存在すると/主は言われる。わたしが顧みるのは/苦しむ人、霊の砕かれた人/わたしの言葉におののく人」(1~2節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの絶大な恵みの中に置き、この卑しい、汚れた者を御前に握って下さっていることを心から感謝致します。

 主よ、全てはあなたのものです。あなたはどこにもおられ、私の全ての歩みと行い、心の働きを知っておられます。あなたの前に何も申し開きをすることはありません。

 ただ、あなたが招いて下さるから、あなたの御子の十字架の血潮がこの卑しい者のために流されたから、主よ、もう一度あなたの御前にひれ伏すことが出来ます。

 ただ、ひれ伏させて下さるあなたに感謝致します。御心のままに全てのことを行われるあなたに賛美を献げます。

 今日、不安と恐れ、痛みと悲しみにあるお一人お一人と共にあり、今日の歩みを守って下さい。あなたご自身が傍にいて、支えて下さいますように。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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