聖書日課 サムエル記上12章(新共同訳 旧約pp.444-446)
サウル王が名実共にイスラエルの王として即位すると、サムエルはこの時を待っていたかのように、イスラエルの士師としての役目を引退する旨を民に伝えた(1~3節)。
この時、士師の時代は終わり、王国時代が始まった。これからは王がイスラエルの民を率いていくことになった。
サムエルは最後のメッセージとも言える言葉を人々に伝えた。それは、主なる神がイスラエルに対して「行われた救いの御業」を振り返り、主がイスラエルを「導き上った方」であることを改めて人々に確認させ(6~11節)、人々も彼らの「上に君臨する王も」主なる神に聞き従って歩むように勧めるものであった。そして、「もし主の御声に聞き従わず、主の御命令に背くなら」、主の裁きの「御手」が「下る」と警告した。
「今、見よ、あなたたちが求め、選んだ王がここにいる。主はあなたたちに王をお与えになる。だから、あなたたちが主を畏れ、主に仕え、御声に聞き従い、主の御命令に背かず、あなたたちもあなたたちの上に君臨する王も、あなたたちの神、主に従うならそれでよい。しかし、もし主の御声に聞き従わず、主の御命令に背くなら、主の御手は、あなたたちの先祖に下ったように、あなたたちにも下る」(13~15節)。
勧めと警告。祝福と呪い。このようなメッセージは、イスラエルの歴史の中で何度も繰り返し語られてきた。勿論、時代の変化によって多少の違いはあるが、要点は全く変わらない。主に聞き従って祝福を受けることを勧める一方で、主に逆らえば裁かれることを警告している。
これは実に単純明快なメッセージである。誰もが理解することの出来る内容である。このように簡単なメッセージが、どうして何度も繰り返されてきたのだろうか。それは、頭で理解することと心に受け入れて生きることの違いである。イスラエルの民は、知っていながら、それに聞き従おうとしなかった。その結果は、イスラエルの歴史が物語っている通りである。
勿論、これはイスラエルの民に限った問題ではない。悲しいことに、それが人間の現実である。だから、全ての人が、このメッセージを繰り返し聞く必要がある。しかし、同時に、主なる神はそのような愚かな人間に対し、決して諦めることなく何度も何度も繰り返し語りかけて下さっているということも忘れてはならない。主なる神の恵みと憐れみは変わることなく注がれている。「しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」と御言葉にある通りに(ローマの信徒への手紙5章20節)。
「主はその偉大な御名のゆえに、御自分の民を決しておろそかにはなさらない。主はあなたたちを御自分の民と決めておられるからである」(22節)。
西原新生バプテスト教会
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