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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編115編

聖書日課 詩編115編(新共同訳 旧約pp.955-956)

 主なる神は目に見えない。形に表すことが出来ないからである。というよりも、形に限定することは不可能である。

 それに対し、「偶像」は、目で見て、手で触れることが出来、実にきらびやかで分かり易いのが特徴である。それ故、真の神を知らない人は、神の民に向かって、嘲笑の思いを込めてしばしばこう問いかけた。「彼らの神はどこにいる」と。

「わたしたちではなく、主よ/わたしたちではなく/あなたの御名こそ、栄え輝きますように/あなたの慈しみとまことによって。なぜ国々は言うのか/『彼らの神はどこにいる』と。わたしたちの神は天にいまし/御旨のままにすべてを行われる。国々の偶像は金銀にすぎず/人間の手が造ったもの。口があっても話せず/目があっても見えない。耳があっても聞こえず/鼻があってもかぐことができない。手があってもつかめず/足があっても歩けず/喉があっても声を出せない。偶像を造り、それに依り頼む者は/皆、偶像と同じようになる」(1~8節)。

「神がいるなら見せてくれ!」という声は、昔も今も変わることなく聞こえてくる。しかし、主なる神は、見れば解かるという方ではなく、信じてこそ理解出来る御方である。主なる神は、偶像のように、「人間の手」によって造られ、人間の理想と想像から生まれた産物ではなく、天地の造り主として「天にいまし/御旨のままにすべてを行われる」方であり、人間の理解を遥かに超えた御方である。

 偶像には命がない。それ故、「偶像を造り、それに依り頼む者は/皆、偶像と同じように」自分を命のない死んだ者としてしまう。しかし、主なる神は命ある神である。信じる者を「祝福し」、彼らと共にいて「御旨」を行い、人々を導き、守り、生かして下さる。信仰とは、このような主なる神の命に生かされることである。

イスラエルよ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。アロンの家よ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。主を畏れる人よ、主に依り頼め。主は助け、主は盾」(9~11節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と憐れみの中に生かし、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、あなたは生ける真の神です。人はあなたを知らず、自ら動くことも語ることも出来ない偶像に膝を屈め、手を合わせます。

 主よ、あなたが造られた人の尊厳を穢し、理性を卑しめる偶像礼拝をこの地から除き去って下さい。そのために、この小さな者をお用い下さい。

 あなたに信頼する者は幸いです。あなたが私達の「盾」、私達の「助け」だからです。

 今日もあなたの子供のお一人お一人が、偶像礼拝の罠から救われ、あなた以外のものに膝を屈めない尊厳ある存在として生涯を全うすることが出来るよう、助け導いて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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