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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨブ記3章

聖書日課 ヨブ記3章(新共同訳 旧約pp.777-778)

 ヨプは、財産を失い、子供達を失い、健康を失った。それでも主なる神を呪うことはなかった。だからと言って、彼に嘆きや悩みがなかったわけではない。しかし、これまでヨブは嘆きや悲しみをあらわにすることはなかった。それは、余りにも深い苦しみ故に、表現することさえ出来なかったということなのかも知れない。

 そのような或る日、ヨブを「見舞い慰め」るために、遠方から友人達がやって来た。「テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルの三人」である(2章11節)。しかし、彼らは、余りにも酷いヨブの病と「その激しい苦痛を見」て、「話しかけることもでき」ず、「七日七晩、ヨブと共に地面に座っていた」(同13節)。

 長い沈黙を破り、最初に「口を開」いたのはヨブだった。それは嘆きの言葉であった。

「やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、言った。わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。その日は闇となれ。神が上から顧みることなく/光もこれを輝かすな。暗黒と死の闇がその日を贖って取り戻すがよい。密雲がその上に立ちこめ/昼の暗い影に脅かされよ。闇がその夜をとらえ/その夜は年の日々に加えられず/月の一日に数えられることのないように」(1~6節)。

 ヨブは、苦しみを分かち合える友人を前にして、ようやく嘆きを口にすることが出来たのだろう。そういう意味で友の存在は大切であり、大きな力である。

 ヨブは「自分の生まれた日を呪っ」た。「わたしの生まれた日は消えうせよ」と嘆いた。このような苦しみに遭うくらいなら、いっそ生まれてこなければよかった。それが叶わないなら、今すぐ死んでしまいたいと訴えた。

 このような嘆きを正直に言葉に表し、訴えるのは、決して悪いことではないだろう。しかし、それを誰に訴えるかは重要である。ヨブは友人に向かって訴えた。しかし、友人もまた人間である。ヨブの思いの全てを理解し、受けとめることが出来るとは限らない。そのため、ここからヨブと3人の友人達は、激しい議論の応酬にはまってしまうことになる。

 これらの議論の全てが無意味ということはないだろう。しかし、私達にとって最も大切なのは、人ではなく主なる神に向かうこと、そして主なる神の御声に耳を傾けることである。何故なら、真の答えと解決は、主なる神から来るのだから。

イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、乳と蜜の流れる土地で大いに増える」(申命記6章3節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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