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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨブ記8章

聖書日課 ヨブ記8章(新共同訳 旧約pp.784-785)

 2人目の友人「シュア人ビルダド」「話し始めた」(1節)。ところが、彼もまたヨブの激しい嘆きの言葉に苛立ちを覚え、4~5章で見た友人エリファズと同じように、因果応報の教理からヨブの罪を指摘した。

「いつまで、そんなことを言っているのか。あなたの口の言葉は激しい風のようだ」(2節)。

「あなたが神を捜し求め/全能者に憐れみを乞うなら、また、あなたが潔白な正しい人であるなら/神は必ずあなたを顧み/あなたの権利を認めて/あなたの家を元どおりにしてくださる。過去のあなたは小さなものであったが/未来のあなたは非常に大きくなるであろう」(5~7節)。

 ここだけ読むと全く正しく、しかもヨブの将来を考えての言葉のように思われる。しかし、ビルダドも、ヨブの苦難はヨブの罪によるものであると決め付けていることに変わりはない。彼にとっては善意からの言葉であっても、間違った理解の故に、却ってヨブを苦しめていることに彼自身が気付いていなかった。

 しかも、これに加えてビルダドは、ヨブだけでなくヨブの子供達も自らの罪の故に死んだのだと、追い討ちをかけるように言った。

「あなたの子らが/神に対して過ちを犯したからこそ/彼らをその罪の手にゆだねられたのだ」(4節)。

 ここまで来ると、善意の域を通り越していると言えるかも知れない。この時、ビルダドは、目の前で苦しむヨブを理解し慰め励ますことよりも、自分の信条(因果応報の原理)を主張することの方が優先してしまっていた。いわゆる〈教条主義〉の冷たさと頑固さがここに見られる。

 しかし、これはヨブの友人達だけの問題ではなく、誰もが陥り易い問題ではないだろうか。自分の考えを絶対視することによって、事の本質を見誤ってしまうということが往々にしてあるからである。そういう過ちに陥らないためにも、私達は常に主なる神の御前に出て、自分を顧み、自分の思いや考えを正していただこう。

「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」(マタイによる福音書7章3~5節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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