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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ネヘミヤ記11章

聖書日課 ネヘミヤ記11章(新共同訳 旧約pp.756-758)

 11章には〈エルサレムおよび他の町や村に住んだ人々〉の名が記されている。

 エルサレムは、イスラエルの都であり、神殿と再建されたばかりの城壁で囲まれる美しい都市であった。しかし、それは同時に、敵の標的とされる町であることを意味していた。それ故、エルサレムに住むことは、危険と背中合わせの生活を覚悟しなければならなかった。

 そのため、「民の長たち」は立場上、都エルサレムに住ん」だが、「ほかの民は、くじを引」いて、「十人のうち一人」エルサレムに来て住み」「残りの九人」は先祖伝来の土地に住むように図る必要があった。

「民の長たちはエルサレムに住んでいた。ほかの民はくじを引き、十人のうち一人が聖なる都エルサレムに来て住み、残りの九人が他の町々にとどまるようにした。民は、進んでエルサレムに住むすべての人々を祝福した」(1~2節)。

 とはいえ、エルサレムにいた全ての人々が、立場上或いは「くじ」に当たって(外れて?)仕方なく住むようになったわけではない。民の中には、「進んでエルサレムに住」もうとした人々もいた。6節にエルサレムに住んだペレツの一族は合計四百六十八人で、勇敢な人々であった」と記されているように、信仰の勇者が自ら「進んで」神の都エルサレムに移り住んでいた。

 主なる神の導きに自ら進んで飛び込むこと、それは信仰の成長にとって大切な一歩となる。様々な悪条件にもかかわらず、主なる神の約束と守りを信じて、一歩前進することで、新しい信仰の世界が開けてくる。

 勿論、誰にでも恐れはある。信仰は、恐れが全く無くなることではない。恐れるからこそ祈る、弱いからこそ拠り頼むのである。それは自分の恐れや弱さと向き合ってこそ出来る信仰の行為である。だから、恐れや弱さに振り回されたり、隠したりする必要はない。使徒パウロも、次のように告白している。

「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(コリントの信徒への手紙二12章9~10節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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