聖書日課 歴代誌下4章(新共同訳 旧約pp.674-675)
3章と4章には、神殿の様々な「器物」について記されている。その中で神殿の至る所に「金」が使用されていることに注目したい。最高の物を献げるのは、主なる神への礼拝に相応しいことである。
「こうしてソロモンは神の宮のすべての器物を造った。すなわち金の祭壇と、供えのパンを載せる机、また定めのように本殿の前で火をともす純金の燭台と、そのともしび皿を造った。その花、ともしび皿、心かきは精金であった。また心切りばさみ、鉢、香の杯、心取り皿は純金であった。また宮の戸、すなわち至聖所の内部の戸および拝殿の戸のひじつぼは金であった」(19~22節)。
「金」は希少金属だから価値があると言える。しかし、近年注目を浴びている〈レアメタル〉と呼ばれる希少金属が、「金」の地位を脅かすことはない。古今東西、「金」は絶対的な価値を表すのに用いられてきた。
それは希少であることのほかに、眩い輝きを放っているからだろう。その輝きは主なる神の栄光の輝きを表しているかのようである。
そのような「金」を神殿に多用した。真の神の住まいに相応しい材質である。至聖所は部屋が「金で覆」われており、「釘」も「金」で出来ていた(3章8~10節)。
しかも、聖書には、その金が「純金」であったと記されている。
混じりけのない「純金」を精製するのは大変な時間と技術を要する。現代の技術をもってしても100%の「純金」は至難の業と言える。そのような混じりけのない「純金」は主なる神に相応しいものである。
新約時代においては私達自身が神殿である。しかし、私達の心にはまだ〈混じりけ〉がある。主なる神を信頼しきれない疑い。主なる神に告白していない罪。主なる神に反抗する心。そうした不純物を抱えている。
そのような私達の心も、人生の試練や失敗、嵐や混乱を通過する中で、火で精錬されるように不純物が焼かれていく。こうして、主イエス・キリストは、「花嫁」を迎えに再臨される時までに(ヨハネの黙示録19章7節)、私達を混じりけのない「純金」のように造りかえようとされている。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス