聖書日課 出エジプト記37章(新共同訳 旧約pp.156-157)
37章には、掟の箱、「贖いの座」(6~9節)、「机」(10~16節)、「燭台」(17~24節)、「香をたく祭壇」(25~28節)が造られたことが記されている。これらは聖所と至聖所に置かれたが、全てに共通する特徴は、「金」が使用されていたということである。
「ベツァルエルはアカシヤ材で箱を作った。寸法は縦二・五アンマ、横一・五アンマ、高さ一・五アンマ。純金で内側も外側も覆い、周囲に金の飾り縁を作った。次に、四つの金環を鋳造し、箱の四隅の脚に、すなわち、箱の両側に二つずつ付けた。箱を担ぐために、アカシヤ材で棒を作り、それを金で覆い、箱の両側に付けた環に通した」(1~5節)。
金は当時から大変な貴重品だった。エジプトでは、王(ファラオ)を表すものとして使われていた。その金が、主なる神の住まいである幕屋に、しかも、最も大切な聖所と至聖所に置かれる物品に使用されたのは、当然と言えば当然のことである。荒れ野における〈主なる神の仮住まい〉とも言える幕屋の豪華さと美しさは、目を見張るものであったに違いない。
しかし一方で、後の時代に主なる神の神殿を建造したソロモン王は、こう祈っている。
「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください」(列王記上8章27~29節)。
人は、目に見えるものによって心を奪われる。それ故、豪華な教会堂を建てて、人々の注目を惹きつけ、伝道に役立てようと考える人さえいる。しかし、幕屋や神殿の豪華さは、人々の心を惹きつけたり、自分達の権勢を見せつけるためのものではない。主なる神の恵みと愛に満たされた人々の喜びの現れであり、その美しさは、主なる神への感謝と信頼の心の現れである。
何よりも大切なことは、建物や見た目の豪華さではなく、主なる神の御臨在であり、主なる神が共にいて下さる平安と喜びに満たされることである。そのような教会、そのようなキリスト者であり続けたい。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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