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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 列王記上17章

聖書日課 列王記上17章(新共同訳 旧約pp.561-562)

 列王記は、これからしばらく、預言者エリヤと北イスラエルの王アハブの対決の記述が続く。いや、より本質的には、エリヤの仕えるイスラエルの神」と、アハブが取り入れた偶像との対決と言ったほうがいいかも知れない。

 そうだとすれば、この対決の結果は火を見るより明らかである。真の主なる神に勝てるものなど存在しないからである。それ故、ここに記されているのは、主なる神がご自分に反逆する人間をどのように取り扱われたかという歴史であり、どこまでも偶像に走る人間の末路を物語る出来事であると言えるだろう。

 エリヤは、アハブ王に対し、「数年」にわたる干ばつを宣告した。これは偶像崇拝に走るアハブ王と北イスラエルの人々に対する主なる神からの警告の言葉である。

「ギレアドの住民である、ティシュベ人エリヤはアハブに言った。『わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう』」(1節)。

 主なる神の警告は、決して脅しやいびりではない。それは、罪に陥った人間を何とか救おうとする必死の叫びである。主なる神は、罪の道を歩む人々を、何もしないまま放っておかれる御方ではない。

 その一方で、主なる神は預言者エリヤが生きるための道を備えられた。或る時は、「烏」を用いて食糧を与え(4節)、また或る時は、異邦人の「やもめ」によってエリヤを守られた(9節)。主なる神は、ご自分に従う者に救いの手を差し伸べ、必要を満たして下さる御方である。

 しかし、これらの助けは、主なる神の導きの声に聞き従うことによって得られるものであることを忘れてはならない。エリヤが主なる神の助けを得るためには、「主が言われたように」、或る時は「川のほとり」に留まり(5節)、或る時は異邦人のやもめの家に滞在する必要があった。

 主なる神には主なる神の時と方法がある。それ故、主なる神に信頼し、主なる神の導きに聞き従う信仰が求められる。どんなに大きな祝福が届けられたとしても、それを受け取らなければ手に入れることは出来ない。その受け取る方法こそ信頼と従順である。救われる者と裁かれる者の違い、祝福を手に入れる者と失う者の違いは、主なる神への信頼と従順にある。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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