聖書日課 列王記下9章(新共同訳 旧約pp.591-594)
北イスラエル王国に新しい王が誕生しようとしていた。9章には、主なる神に「油を注」がれた「イエフ」が(6節)、「謀反を起こし」てヨラム王を殺し(14節、24節)、イスラエルの新たな王となった出来事が記されている。
これまで、北イスラエルでは度々王朝が代わってきた。しかし、それは全て謀反による政権交代であった。勿論、イエフも例外ではない。その上で、ここで確認しておきたいのは、これらの政権交代が全て主なる神によって計画されたものであり、あくまでも罪を悔い改めようとしない王に対する裁きとして、謀反が繰り返されてきたということである。
「預言者エリシャは預言者の仲間の一人を呼んで言った。『腰に帯を締め、手にこの油の壺を持って、ラモト・ギレアドに行きなさい。そこに着いたら、ニムシの孫でヨシャファトの子であるイエフに会いなさい。あなたは入って彼をその仲間の間から立たせ、奥の部屋に連れて行き、油の壺を取って彼の頭に注いで言いなさい。『主はこう言われる。わたしはあなたに油を注ぎ、あなたをイスラエルの王とする』と。そして戸を開けて逃げて来なさい。ぐずぐずしていてはならない』」(1~3節)。
その意味で、これらの政権交代は、イスラエルに対する主なる神からの警告であり、イスラエルはこういう出来事を通して、自分達のあり方を悔い改めて主なる神に立ち帰るべきであった。しかし、悲しいことに、王もイスラエルの人々も、一向に主なる神に立ち返ろうとはしなかった。そのため、彼らはますます衰退していくことになった。
私達の人生にも、様々な出来事が起こる。そして、多くの場合、私達は、起こった出来事に一喜一憂し、振り回されて終わってしまう。しかし、どのようなことであっても、主なる神の与り知らない問題はない。全てのことは、主なる神の許しなしには起こり得ないからである。そして、もし主なる神が全てのことをご存知であるとすれば、どのような出来事にも知るべき意味があり、学ぶべき何かがある。
私達が一つ一つの出来事から知るべきことを知り、学ぶべきことを学ぶことが出来たら、私達は、出来事に振り回される人生から、常に成長し続ける人生へと移り変わることが出来る。そして、それこそが〈悔い改め〉ということの大切な意味でもある。
主なる神は、様々な出来事を通して私達に語りかけて下さっている。勿論、いつも全てが分かるということではない。それでも、一つ一つの出来事の中に、主なる神の御心を知り、学ぶべきことを学ぶ者でありたい。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス