聖書日課 申命記29章(新共同訳 旧約pp.327-328)
イスラエルの民をエジプトから導き出された目的をもう一度確認しておこう。エジプトは「木や石、銀や金で造られた憎むべき偶像」に満ちた国だった(16節)。そのような偶像の国から導き出し、真の神礼拝に生きる民を得るために、主なる神はイスラエルを選ばれた。
主なる神の意図は、真の礼拝者を得ることである。真の礼拝者による世界を完成させることにある。この意図を無視して聖書を読み解くことは、誤解や躓きを生じさせる。聖書は〈神中心〉の書物である。
そして、主なる神を中心とする真の礼拝者なる国に、偶像礼拝が相容れないのは当然のことである。
だから、主なる神はイスラエルの民に次のように命じている。
「今日、心変わりして、我々の神、主に背き、これらの国々の神々のもとに行って仕えるような男、女、家族、部族があなたたたちの間にあってはならない。あなたたちの中に、毒草や苦よもぎを生ずる根があってはならない」(17節)。
これは、文字通りの「毒草や苦よもぎ」を栽培してはならないという意味ではない。
「毒草や苦よもぎを生ずる根」とは、偶像礼拝の根のことである。それを根本から取り除くという意味である。主なる神以外の神々に仕えてはならない。これが、神の国で最も重要なことである。
聖書が繰り返し戒めているのは、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」、「あなたはいかなる像も造ってはならない」ということである(出エジプト記20章3~4節)。
イスラエルの民はその命令に従って偶像を取り除き、真の神への礼拝を追及した。だが、何度も宗教改革が行われたにもかかわらず、「しかし、聖なる高台は取り除かなかった」という記録が随所にある(列王記上22章44節、列王記下12章4節、歴代誌下20章33節など)。
「聖なる高台」とは偶像礼拝に使用された所である。見晴らしが良く、天を近く感じるので、主なる神に祈るのに最適な立地条件に思われる。しかし、それを温存することで、イスラエルの民は偶像礼拝に傾斜していった。まさに〈禍根を残した〉のである。
人間同士の罪も問題であるが、それ以上に主なる神が厳しく禁じておられるのが、主なる神でないものへの礼拝である。それは、主なる神の聖なる秩序を根本的に破壊する罪だからである。この根を決して残してはならない。
新約に到って、主なる神は、イエス・キリストを信じる者に聖霊を賜り、聖霊の火をもって偶像礼拝の根を焼き尽くされる。
西原新生バプテスト教会
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