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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 レビ記7章

聖書日課 レビ記7章(新共同訳 旧約pp.170-172)

 レビ記の1章から7章にかけて、イスラエルの人々が幕屋でささげる献げ物についての規定が記されていた。

「以上は焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物、任職の献げ物、和解の献げ物についての指示であって、主がシナイ山においてモーセに命じられたものである。主はこの日、シナイの荒れ野において、イスラエルの人々に以上の献げ物を主にささげよと命じられたのである」(37~38節)。

「焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物、任職の献げ物、和解の献げ物」には、それぞれ意味が込められている。では、献げ物には、どのような意味があるのだろうか。ここで、まとめとしてもう一度確認しておきたい。

 イスラエルの民の信仰生活の中心は、幕屋で行われる祭儀にあった。祭儀は、主なる神との交わり(礼拝)であり、その交わりを維持・回復するために献げ物がささげられた。

 主なる神は人々との交わりを願っておられる。礼拝とは主なる神との交わりであり、旧約時代の礼拝は祭儀であった。しかし、献げ物や祭儀自体が、主なる神との交わりを作り出すわけではない。イスラエルの民が神の民とされたのは、主なる神の一方的な恵みによる。献げ物による祭儀は、交わりを維持、回復、更新する役目を果たしていた。

 同じように、私達の救いも、主なる神の一方的な恵みによる。私達は、救われるために礼拝するのではない。救われて主なる神との交わりに入れられたから礼拝する。つまり、礼拝の根本は恵みであり、感謝である。交わりを喜び楽しむところに礼拝の本質がある。

 勿論、私達の罪が主なる神との交わりを困難にすることもある。しかし、悔い改めと信仰によって赦しをいただき、再び主との交わりを回復することが出来る。礼拝は、赦しと回復をいただく場でもある。

 旧約の献げ物のうち、特に動物のいけにえは、小羊イエス・キリストを指し示すものである。旧約時代の人々は、動物をささげながら、自分達の罪の身代わりとなる真の救い主を待望していた。一方、私達は、既に来られた救い主を想い起こし、主なる神との交わりの回復(救い)を喜び、感謝しつつ礼拝する。真のいけにえがささげられた以上、動物の献げ物をささげる必要はなくなった。しかし、旧約時代も新約時代も、主イエス・キリストを見上げて、礼拝をささげることに違いはない。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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