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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 出エジプト記24章

聖書日課 出エジプト記24章(新共同訳 旧約p.134)

 キリスト教は契約の宗教であると言われる。聖書に啓示されている主なる神は、人間と契約を結ばれる。

モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、『わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります』と言うと、モーセは血を取り、民に振りかけて言った。『見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である』」(4~8節)。

〈契約〉と聞くと、「何か水臭い感じ!」とか、「形式的で堅苦しいイメージがする」と思う方もいるかも知れない。

 しかし、契約締結は、主なる神の厳粛で真剣な意志の表れである。この契約は、神の民イスラエルの、いや、イスラエルだけでなく、全人類の祝福と救いに関わる出来事である。つまり、聖書の契約は、人の生き死に関わる契約である。その意味に気付いた時、水臭いとか堅苦しいという印象は消えるだろう。

 信仰は気休めや気紛れではない。主なる神は、人に向かって真剣に問いかけられる。「ここに道がある、救いがある、私を信頼し、私の愛の中に生きなさい」と。そして、十字架の上に独り子イエス・キリストの命を献げ、その血によって永遠の救いの契約を成就された。

 イエス・キリストを信じたばかりの頃は、そういう真剣さがあったけれども、いつの間にか恵みに慣れて、真剣さも新鮮さも失ってしまったということが起こり得る。イスラエルの人々は、まさにそうだった。彼らは、主なる神の数々の奇跡を経験し、主なる神の声を聞き、主なる神の言葉をいただいて、厳粛な契約を交わしていながら、やがて約束の地に入り、安定した豊かな生活が始まると、主なる神の恵みを軽んじ、傲慢になって偶像に走っていった。

 これは、私達自身にも起こり得ることである。私達の心から、赦され愛されている喜びと感謝が失われる時、或いは、主の御前に謙る心が失われる時、私達は、イスラエルの人々と同じ危険性の中にいる。だからこそ、日々主の御前にひれ伏し、祈り、御言葉によって養われることが必要である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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