聖書日課 出エジプト記6章(新共同訳 旧約pp.101-103)
出エジプト記6章では、モーセとアロンに与えられた主なる神からの使命が改めて述べられている。それは、「イスラエルの人々とエジプトの王ファラオにかかわる命令」であり(13節)、「エジプト王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい」というものであった(11節)。
しかし、それは非常に困難な使命だった。イスラエルの人々は、モーセとアロンを通して、主なる神からの励ましと希望のメッセージを聞いた。しかし、彼らは、「厳しい重労働」に疲れ果てて、約束を信じる「意欲を失って」いる状態だった(9節)。
もっと難しいのは、ファラオである。モーセとアロンが主の言葉を伝えると、ファラオは言った。
「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」(5章2節)。
このように傲慢な人間を説得することなど、人間業では不可能である。
こうして見ると、モーセとアロンは本当に大変な使命を与えられたものだと思う。しかし、更によく考えると、この時最も大変な思いをしているのは、主なる神ご自身だったのではないか。イスラエルの民の不信仰、ファラオの傲慢に加えて、モーセでさえも、主なる神に嘆きや不満をぶつけている。
「モーセは主に訴えた。『御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか』」(12節)。
主なる神は、このように、人間の不信仰、傲慢、嘆きや不満の全てを受けとめつつ、ご自身の約束を果たされる御方である。「そんなこと、神様だから何でもないだろう」と思われるだろうか? いいえ、誰よりも心を痛め、誰よりも深く悲しんでおられるのは、実は主なる神ご自身、イエス・キリストご自身である。
「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」(ヘブライ人への手紙5章7節)。
イエス・キリストは、今も私達の苦しみや悲しみを受けとめながら、執り成しをして下さっている。あなたもイエス・キリストに信頼し、拠り頼み、聞き従って生きてみてはいかがだろうか? 主なる神の深い愛と恵みを知ることが出来るだろう。
西原新生バプテスト教会
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