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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 民数記29章

聖書日課 民数記29章(新共同訳 旧約pp.264-266)

 イスラエルの例祭は大きく二つに分けられる。春の祭りと秋の祭りである。先の28章は春の祭りに関する規定である。それに対し、29章は秋の祭りに関する規定である。但し、祭りの名前が記されていない。

「第七の月の一日」の祭りは〈ラッパの祭り〉(1節)、「第七の月の十日」の祭りは「贖罪日」(7節、レビ記23章27節)、そして「第七の月の十五日」「仮庵祭」である(12節、レビ記23章34節)。仮庵祭は7日間続く大きな祭りで、イスラエルの例祭のクライマックスとも言える。

 仮庵祭は、その名の通り、仮の庵を作ってそこで7日間寝泊まりする祭りである。イスラエルの人々は荒れ野を旅する間、テント暮らしをした。まさに「仮庵」で生活したわけである。だから、この「仮庵」は約束の地カナンに住む前の苦労を思い起こさせた。

 また、仮庵祭は、やがて神の国が完成した時に祝うことになる祭りである。私達は「天の故郷」を目指して、荒れ野である「地上」を旅している。私達は「地上ではよそ者であり、仮住まいの者である」(ヘブライ人への手紙11章13節、15節)。

 だから、地上にあって私達は「仮住まい」に暮らしているようなものである。「仮住まい」とは木やコンクリートで出来た家屋のことも意味するが、この場合、私達の肉体を意味している。

 聖書は、私達の肉体のことを「幕屋」と呼んでいる。つまり、イスラエルが荒れ野では幕屋住まいであったように、私達は、地上においては、肉体という「仮住まい」で暮らしている。

 しかし、この肉体という「幕屋」(仮庵)は丈夫ではない。破れたり壊れたりする。永遠に住むことの出来る住まいではないので、この肉体にあって私達は苦しみ悶える。

 しかし、私達が地上の生涯を終え、天の御国に入ると「永遠の住みか」、朽ちない住まいを受けることになる。

「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです」(コリントの信徒への手紙二5章1節)。

 天の御国に行くと本当の住まいをいただくことになる。それは「朽ちないもの」とか「霊の体」と呼ばれる住まいである(コリントの信徒への手紙一15章42節、44節)。こうして、私達は天の御国で荒れ野の生活を振り返る。「仮庵」である肉体の中で暮らした地上の生涯の日々を感謝しつつ振り返る。

 荒れ野にあって主なる神は真実な御方であられたことを想い起こし、感謝する。苦労に満ちた荒れ野において、主なる神は愛なる御方であり、一切の必要を満たして下さったことを振り返り、主なる神を讃美する。

 そのような「仮庵祭」を祝う時が来る。それを目指して、私達は荒れ野である地上を希望をもって進んでいこう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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