聖書日課 民数記27章(新共同訳 旧約pp.261-262)
40年の荒れ野の旅を終え、イスラエルはこれから約束の地カナンに入ろうとしていた。しかし、モーセの任務はここまでであった。先のメリバ事件における失敗の故に、主なる神は、モーセが率いて約束の地に入ることを禁じられたからである(20章)。そして、ヨシュアにその任を引き継ぐことになった。
「主はモーセに言われた。『霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、手を彼の上に置き、祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせて、彼らの見ている前で職に任じなさい』」(18~19節)。
モーセからヨシュアに。ヘブライ語名「ヨシュア」は、ギリシア語では「イエス」で、〈主は救い〉という意味である。律法の象徴であるモーセから、福音の象徴であるヨシュア(イエス)に引き継がれるわけであるが、新約聖書ではそれを〈律法と福音〉というテーマで取り扱っている。
「わたしたちが信仰によって義とされるため」、「律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となった」(ガラテヤの信徒への手紙3章24節)。そして、今やこのイエス・キリストによって、私達は「神の子」とされ、「神によって立てられた相続人」となった(同4章5節、7節)。
さて、視点を変えて、このことから〈指導者の交替〉について考えてみたい。ヨシュアはモーセのもとで長く仕えてきた。指導者としての苦悩を間近で見て学んだことだろう。
これは教会が次の牧師に交替する時の大切な原則を示している。緊急措置として、別の教会から牧師を招聘することもあるが、基本的には牧師のもとで見習い、仕えてきた指導者が相応しいと私は考える。次の牧師を生み育てる。教会を託せる牧師を育てる。これは牧師の大切な仕事の一つである。
また、信徒は次の信徒を生み育てる。教会は次の教会を生み育てる。教会と牧師と信徒において、そのような命の受け継ぎ、流れがある。それが健康な信仰のあり方だろう。
また、次期リーダーは主なる神からの任命であることも大切である。この世ではリーダーを選挙で選ぶ。しかし、それを教会に持ち込んではならない。信徒が気に入った牧師を選ぶというのは、裏を返せば、気に入らない牧師は追い出すということを意味する。その時、牧師も信徒に気に入られるように振る舞い始める。
このような感覚は、教会の中に人間中心主義(ヒューマニズム)の信仰観や教会観を生み出していく。そうではなく、まず主なる神からの任命がある。だから、主なる神の任命を祈って受けなければならない。牧師も信徒も主なる神に向かって、主なる神を中心とした生き方をする。それが教会の軸である。
西原新生バプテスト教会
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