聖書日課 レビ記23章(新共同訳 旧約pp.198-200)
23章には、イスラエルの民が守るべきいくつかの祝祭日が記されている。それは、「安息日」(3節)、「主の過越」(5節)、「除酵祭」(6節)、「初穂」(10節)と新穀祭(七週の祭)、「角笛を吹き鳴」らす日(24節)、「贖罪日」(27節)、「仮庵祭」(34節)などであるが、神の民イスラエルは、一年を通して、このような祭りを行うように定められていた。
「主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちがイスラエルの人々を聖なる集会に召集すべき主の祝日は、次のとおりである。六日の間仕事をする。七日目は最も厳かな安息日であり、聖なる集会の日である。あなたたちはいかなる仕事もしてはならない。どこに住もうとも、これは主のための安息日である」(1~3節)。
祭りは、記念でありお祝いである。イスラエルの民は、一年を通して、いつも主なる神の御業を喜び祝い、記念しながら生きるよう期待されていた。主なる神は、人々が主なる神の存在と教えを忘れないために、また、主なる神の御業を喜びをもって覚え続けるために、「主の祝日」を与えられた。
特に、毎週の安息日は、全ての祝祭日の中で最も基本となるものである。この日は、単に「いかなる仕事もしてはならない」日というだけでなく、主なる神の創造の御業を記念し(出エジプト記20章11節)、また、エジプトからの解放と救いを喜び祝うための日として定められた(申命記5章12~15節)。神の民は、生涯にわたって7日に1度、この日を記念して喜び祝い続ける。だから、この日は、神の民の「しるし」とされた(出エジプト記31章13節)。
勿論、これは旧約聖書の律法だから、新約時代の私達がこのような祭りを執り行う必要はない。しかし、私達も、毎週の礼拝ごとに、イースターやクリスマスに、或いは〈教会暦〉と呼ばれる様々な記念日に祝うことは、主なる神の臨在と教えを忘れないためにも、また主なる神の様々な御業を覚え続けるためにも、大切なことである。
キリスト者は、日曜日ごとに主なる神に礼拝をささげる。それは、主イエス・キリストの復活を祝う日であり、主の十字架と復活によって私達の救いが完成したことを喜び祝う日である。つまり、キリスト者は毎週お祭りをしているわけである!
私達がささげる礼拝も、もっと祭りに相応しい喜びとお祝いの雰囲気に満ちたものであってよいのかも知れない。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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