聖書日課 レビ記25章(新共同訳 旧約pp.202-205)
(1) 安息の年(1〜7節)
主なる神の創造の秩序には「安息」が含まれている。地であれ、動物であれ、人間であれ、必ず一定の「安息」が必要である。主なる神は、カナンの地に「入ったならば、主の安息をその土地にも与えなさい」と命じられた(2節)。
「六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが」(3節)、7年目の「安息の年」には、一切の労働をやめ、「全き安息を土地に与えねばならな」かった(4節)。
地の安息は「主のための安息」である(4節)。これは、地の生産力の増加だけに目的があるのではない。神の民が、労働からの「安息」で主なる神との正しい関係を回復し、霊的に満たされるためである。安息の年に「生じた穀物は収穫し」てはならず(5節)、「男女の奴隷、雇い人」、「滞在者」、「家畜や野生の動物」も食べることが出来るようにした(6~7節)。主なる神の統治には、憐れみと愛が溢れている。
(2) ヨベルの年(8〜12節)
真の「安息」には信仰が必要である。イスラエルは、「安息の年」が「七回」来た「四十九年」目の年を「安息の年」として守り(8節)、その翌年の「五十年目の年」を「ヨベルの年」として守った(10節)。
49年目の「第七の月の十日」は「贖罪日」で、「国中」で「角笛を吹き鳴らして」、翌年の「ヨベルの年」が告知された(8~9節)。そして、「全住民に解放の宣言」がなされた。これによって、「ヨベルの年」になれば、奴隷だった人々も解放され、「その先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る」ことが出来た(10節)。
49年目の「安息の年」だけでなく、翌年の「ヨベルの年」にも、「種蒔くことも、休閑中の畑に生じた穀物を収穫することも、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めることもしてはならな」かった(11節)。「ヨベルの年」の規定を守るためには、主なる神の顧みを信頼する信仰が必要である。真の安息は、命の主権者である主なる神の恵みを信じ、主なる神に信頼する時に実現する。
西原新生バプテスト教会
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