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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 レビ記25章

聖書日課 レビ記25章(新共同訳 旧約pp.202-205)

(1) 安息の年(1〜7節)

 主なる神の創造の秩序には「安息」が含まれている。地であれ、動物であれ、人間であれ、必ず一定の「安息」が必要である。主なる神は、カナンの地に「入ったならば、主の安息をその土地にも与えなさい」と命じられた(2節)。

「六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが」(3節)、7年目の「安息の年」には、一切の労働をやめ、「全き安息を土地に与えねばならな」かった(4節)。

 地の安息は「主のための安息」である(4節)。これは、地の生産力の増加だけに目的があるのではない。神の民が、労働からの「安息」で主なる神との正しい関係を回復し、霊的に満たされるためである。安息の年に「生じた穀物は収穫し」てはならず(5節)、「男女の奴隷、雇い人」「滞在者」「家畜や野生の動物」も食べることが出来るようにした(6~7節)。主なる神の統治には、憐れみと愛が溢れている。

(2) ヨベルの年(8〜12節)

 真の「安息」には信仰が必要である。イスラエルは、「安息の年」「七回」来た「四十九年」目の年を「安息の年」として守り(8節)、その翌年の「五十年目の年」「ヨベルの年」として守った(10節)。

 49年目の「第七の月の十日」「贖罪日」で、「国中」「角笛を吹き鳴らして」、翌年の「ヨベルの年」が告知された(8~9節)。そして、「全住民に解放の宣言」がなされた。これによって、「ヨベルの年」になれば、奴隷だった人々も解放され、「その先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る」ことが出来た(10節)。

 49年目の「安息の年」だけでなく、翌年の「ヨベルの年」にも、「種蒔くことも、休閑中の畑に生じた穀物を収穫することも、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めることもしてはならな」かった(11節)。「ヨベルの年」の規定を守るためには、主なる神の顧みを信頼する信仰が必要である。真の安息は、命の主権者である主なる神の恵みを信じ、主なる神に信頼する時に実現する。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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