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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 レビ記1章

聖書日課 レビ記1章(新共同訳 旧約p.163)

 レビ記は、敬遠されがちな書物かも知れない。「レビ記を愛読しています」という人は少ないのではないか。それは、レビ記が、創世記のような物語ではなく、いけにえや儀式に関する細かな規定が書かれている書物だからだろう。

 しかし、レビ記は、一度意味が分かり始めると、俄然興味が湧いてくる書物でもある。いけにえや儀式は、私達の救いに関する問題であり、主イエス・キリストと十字架を理解する上で重要なものだからである。旧約時代の律法が、新約聖書の教え、それも重要な教理と深い関わりがあることが分かると、聖書の奥深さと、主なる神のご計画の大きさに驚嘆を覚える。

 レビ記の冒頭の1章~7章には、幕屋で主なる神に献げるいけにえについての規定が記されている。

「主は臨在の幕屋から、モーセを呼んで仰せになった。イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちのうちのだれかが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる。奉納者は主に受け入れられるよう、臨在の幕屋の入り口にそれを引いて行き、手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる。奉納者がその牛を主の御前で屠ると、アロンの子らである祭司たちは血を臨在の幕屋の入り口にある祭壇の四つの側面に注ぎかけてささげる。奉納者が献げ物とする牛の皮をはぎ、その体を各部に分割すると、祭司アロンの子らは祭壇に薪を整えて並べ、火をつけてから、分割した各部を、頭と脂肪と共に祭壇の燃えている薪の上に置く。奉納者が内臓と四肢を水で洗うと、祭司はその全部を祭壇で燃やして煙にする。これが焼き尽くす献げ物であり、燃やして主にささげる宥めの香りである」(1~9節)。

 いけにえと聞くと、何か残酷なイメージを持つ人がいるのではないか。或いは、いけにえにされる動物が可哀想だと思う人もいるかも知れない。

 しかし、これは他人事ではない。可哀想だと思うのは、それが自分自身の罪のためであることに気付いていないからではないか。私達が罪を赦され、贖われるためには、身代わりの血が流されなければならない。つまり、いけにえが殺され、血が流されるのは、私達の罪のためである。動物を「屠」り、「血を」「注ぎ」「焼き尽くす」ことは、確かに残酷な行為である。しかし、その残酷な行為を引き起こしたのは、取りも直さず私達自身である。そのことが分かると、私達は、いけにえを恐れと痛みをもって受けとめざるを得ない。まして、本当のいけにえが主イエス・キリストご自身であることを知る時、私達は、主の御前にひれ伏し、感謝と賛美の思いで一杯にさせられるのでないか。そのような意味を心に覚えつつ、レビ記を読み進めていきたい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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