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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 出エジプト記10章

聖書日課 出エジプト記10章(新共同訳 旧約pp.108-110)

 9番目の災いは〈暗闇の災い〉と言われるものであった。今までと違って、この災いは、事前の警告もなく、いきなりやって来た。

「主はモーセに言われた。『手を天に向かって差し伸べ、エジプトの地に闇を臨ませ、人がそれを手に感じるほどにしなさい』。モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。人々は、三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった」(21~23節)。

 主のご命令に従って、モーセ「天に向かって手を差し伸べる」と、「エジプト全土」は、「三日間」「暗闇」の中に置かれた。人々は、「互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかった」と記されている。

「闇」、それは悪と滅びの象徴である。旧約聖書では、イザヤ書8章22節、ヨエル書2章2節、ゼファニア書1章15節などで、主の日の裁きの象徴とされている。また、新約聖書では、ヨハネによる福音書1章5節に出てくる。

 悪と滅びの「暗闇」の中にある時、私達は、人の姿も自分の姿も見ることは出来ない。また、自由に伸び伸び生きることも不可能である。それは、主なる神から遠く離れて生きる現代社会の象徴とも言うことが出来るだろう。

 一方、聖書はこう記している。

イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった」(23節)。

 神の民イスラエル、主なる神が共におられる民には、全く暗闇がなかった。それは、彼らが「住んでいる所にはどこでも光があった」からである。

「光」、それは主なる神のご臨在の象徴である。イエス・キリストは、「わたしは世の光である」と言われ(ヨハネによる福音書8章12節)、弟子達にも「あなたがたは世の光である」と言われた(マタイによる福音書5章14節)。また、「光」は〈命〉の象徴ともされている。主なる神のご臨在の中にあるなら、人は真の命を生きるようになる。それは、心満たされて、生き生きと力強く生きる命である。

 ファラオに代表されるエジプトと神の民イスラエルが、「闇」「光」という明確な区別をもって取り扱われたことには、悪と善、罪と義、滅びと救い、死と命の2つの道が、私達の前に置かれているという現実に、私達を向き合わせる意味があるように思う。

 あなたは今、主なる神の光の中に、自分の居場所、自分の歩む道を見出しているだろうか?

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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