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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 出エジプト記28章

聖書日課 出エジプト記28章(新共同訳 旧約pp.139-141)

 幕屋で動物やその他の献げ物をささげ、イスラエルの罪を贖う儀式を執り行うのが、祭司の役割だった。モーセの兄アロンとその息子達が、この任務を果たすために主なる神から任命された。

「次に、祭司としてわたしに仕えさせるために、イスラエルの人々の中から、兄弟アロンとその子ら、すなわち、ナダブ、アビフ、エルアザルとイタマルを、アロンと共にあなたの近くに置きなさい」(1節)。

 この章には、祭司が幕屋で奉仕する時に着る祭服についての指示が記されている。特に、大祭司アロンのために「威厳と美しさを添える聖なる祭服」を作るようにという指示が与えられている。

「あなたの兄弟アロンに威厳と美しさを添える聖なる祭服を作らねばならない。あなたは、わたしが知恵の霊を与えたすべての知恵ある者たちに説明して、わたしの祭司として聖別されたアロンのために祭服を作らせなさい」(2~3節)。

 昔学んだ歴史の授業をふと思い出した。古代社会においては、宗教的な特権階級が存在し、国の政治に深く関わっていた。そして、貧しい平民や奴隷に比べて、裕福な生活をしていた。そのようなことを学んだ記憶がある。

「荒れ野を旅するイスラエルの人々の中で、祭司だけ高価で優美な服を着ていたなんて! それは〈特権階級〉なのではないか? 神様は彼らを特別扱いしているのだろうか?」昔の私なら、そのような疑問が湧いてきたかも知れない。しかし、この祭服の意味と祭司の役割を知ると、それは随分違ったものであったことが分かる。

 祭司は、その両肩に「二個のラピス・ラズリ」を付けていた。その宝石には、イスラエル12部族の名前がそれぞれ6部族ずつ刻まれていた(6~14節)。また、祭司の「胸当て」には、12個の「宝石」が付けられていたが、その宝石にも、イスラエルの各部族の名前が刻まれていた(15~30節)。更に、祭司が頭にかぶる「ターバン」に付けられた「額当て」には、「主の聖なる者」と刻まれていた(36~38節)。

 ここから分かることは、祭司は、イスラエル民族の代表であり、祭司の存在は、イスラエル民族そのものだということである。つまり、主なる神にとって、イスラエル「威厳と美しさを添える聖なる」者であった。そして、祭司はその代表として主なる神の御前に出て罪の贖いの儀式を執り行ったが、彼らは、イスラエルが主なる神にとってどのようなものであるかという、神の民のアイデンティティの象徴的存在でもあった。

 ここでパウロの言葉を思い出した。

「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤの信徒への手紙2章20節)。

 罪ある自分は死に、真の大祭司イエス・キリストが自分の内に生きている。ここに現代に生きる神の民としての真のアイデンティティがある。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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