聖書日課 創世記39章(新共同訳 旧約pp.68-69)
(1) 濡れ衣を着せられたヨセフ(11〜18節)
主なる神に忠実な民にも苦難は訪れる。
「家の者が一人も家の中にいなかった」のを狙って(11節)、女主人がヨセフを誘惑した。「ヨセフの着物をつか」むという表現は、女主人の執拗な行動を表している。ヨセフは、「着物を彼女の手に残し、逃げて外へ出」ることによってその場を逃れた(12節)。
ヨセフが自分の要求を聞き入れないと、女主人は告発者に豹変した。そして、ヨセフが「わたしの所に来て、わたしと寝ようとした」と「家の者たち」に告げ(14節)、その証拠としてヨセフの着物を出した(15~16節)。しかし、これは見え透いた嘘である。
女主人はヨセフのことを「ヘブライ人」(14節)と呼んでいるが、これは人種的な偏見を露わにし、下層階級を嘲る表現である。ポティファルの妻は、エジプト人である自分が「ヘブライ人の奴隷」に辱められたと訴えることによって、人々から同情を買おうとした。
その一方で、「あなたの奴隷がわたしにこんなことをしたのです」と訴え(19節)、その「ヘブライ人」を「連れて来た」夫に責任をなすりつけた(17節)。
(2) 監獄でも成功する人(19〜23節)
どん底に落ちても、主なる神の子供は再起することが出来る。
濡れ衣を着せられたヨセフは、一夜にして囚人に転落した。
ところが不思議なことに、ポティファルはヨセフを「王の囚人をつなぐ監獄に入れた」(20節)。このことは、ヨセフの境遇が変わり得る可能性を暗示している。「ヨセフと共におられ」る主なる神の御手はそこでも見られた。
また、奴隷となったヨセフに主人ポティファルが好意を示したように(3~4節)、「監守長」もヨセフに好意を示し、「監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね」た。ヨセフは、監獄でも主なる神の愛と恵みを経験して成功した。
「しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたので、監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである」(21~23節)。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も御前に引き出して下さったことを感謝致します。主よ、成功する人生とは、苦しみのない人生ではなく、あなたの御手の中で苦しみを乗り越える人生であるということを、今朝あなたの御言葉から教えていただきました。夢と現実の差に落胆せず、あなたが共におられるが故に、悔しさにも耐えられる信仰の人となれますように。感謝して、主イエス・キリストの聖なる御名によってお祈り致します。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス