聖書日課 創世記16章(新共同訳 旧約pp.20-21)
16章には、アブラムの女奴隷ハガルに起こった主の恵みの出来事が記されている。
主なる神の約束から10年が経過したにもかかわらず、アブラムとその妻サライには、未だに「子供が生まれ」ていなかった(1節)。そこで、とうとうしびれを切らしたサライは、自分の女奴隷によってアブラムに子供をもうけようと提案した(2節)。アブラムは妻の提案を受け入れ、間もなくハガルは身ごもった(4節)。
ところが、ここから問題が起こった。アブラムの子供を身ごもったハガルが、「女主人」サライを軽んじるようになったため(4節)、サライは怒り、ハガルに「つらく当たった」のである。そのため、ハガルは「サライのもとから逃げ」出した(6節)。
考えてみれば、これは元々アブラム夫妻の問題である。奴隷のハガルは、主人に言われた通りにしたに過ぎない。にもかかわらず、辛く当たられる。女奴隷ハガイは、憤懣やる方ないという心境だったに違いない。
しかし、主なる神は、そのようなハガルを決して見捨てることはなかった。
「主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、言った。『サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか』。『女主人サライのもとから逃げているところです』と答えると、主の御使いは言った。『女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい』。主の御使いは更に言った。『わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす』」(7~10節)。
こうして、主はハガルの悩みをお聞きになり、彼女を顧みられた。自分を顧みて下さる主なる神を知ったハガルは、勇気と信仰を得て、女主人サライのもとに帰り、無事子供を産むことが出来た(15節)。
「ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、『あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です』と言った。それは、彼女が、『神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか』と言ったからである」(13節)。
「あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか」。主なる神は今も、悩み迷う私達に、こう呼びかけておられる。そして、私達が居るべき場所を示して下さる。その御声に全幅の信頼をもって聞き従う時、主なる神は素晴らしい祝福をもって私達の人生を満たして下さる。
西原新生バプテスト教会
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