聖書日課 創世記23章(新共同訳 旧約pp.32-33)
アブラハムの妻サラが死んだ。その時「アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ」と聖書は記している(2節)。〈信仰の父〉と言われるアブラハムが、妻の死に胸を打ち、嘆き悲しんだことに、サラへの深い愛情が伝わってくる。
しかし、アブラハムは、ただ嘆き悲しんでいただけではなかった。
「アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。『わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです』」(3~4節)。
実は、この時までアブラハムは、墓地にする土地すら所有していなかった。これは、アブラハムが非常に裕福であったことを考えると、驚くべきことである。彼は、広大な土地を手に入れる資金を十分持っていたにもかかわらず、敢えてそうしなかったのである。
何故アブラハムはそうしなかったのか。彼は「自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表し」て生きていたからである(ヘブライ人への手紙11章13節)。また、アブラハムは「神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していた」(ヘブライ人への手紙11章10節)。
それ故、今回アブラハムが最愛の妻サラを葬るために墓地を購入したのも、地上に財産を築こうとしたからではない。自分達が天の都に憧れて生きている者であるという信仰の表明として、墓地を手に入れたのではないか。
やがてこの墓地には、アブラハム自身も(25章9節)、その子イサクも(35章29節)、その妻リベカも(49章31節)、レアも(49章31節)、そしてヤコブも(50章13節)葬られている。これは、単に家族だからではなく、彼らがアブラハムに与えられた主の約束を信じる信仰を受け継いでいることを示している。イエス・キリストにある者は皆、主なる神の約束を共に相続する者であり、天の都に憧れつつ生きる者であることを覚えたい。
「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」(フィリピの信徒への手紙3章20節)。
西原新生バプテスト教会
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