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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 創世記22章

聖書日課 創世記22章(新共同訳 旧約pp.31-32)

 主なる神はアブラハムに、25年も待ち続けて、漸く与えられた最愛の息子イサクを「焼き尽くす献げ物としてささげなさい」と命じられた。

「神は命じられた。『あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい』」(2節)。

 何故主なる神は、このようなことを命じられたのだろうか? 「大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう」(13章16節)という約束はどうなってしまうのだろうか? アブラハムがそのような疑問を抱いたかどうか、聖書には何も書かれていない。ただ聖書はこう記している。

「次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った」(3節)。

「次の朝早く」とある。アブラハムは即座に行動した。主なる神の御心に対して、何日も何ヶ月も躊躇することはなかった。ここにアブラハムの信仰の姿勢が示されていると言える。

 どうしてアブラハムはそう出来たのだろうか。それはアブラハムの言葉の中に示されている。

アブラハムは若者に言った。『お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる』」(5節)。

アブラハムは答えた。『わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる』」(8節)。

 アブラハム「わたしと息子は、…また戻ってくる」と信じていた。またアブラハム「献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」と信じていた。ここに、主なる神に対するアブラハムの深い信頼が表されている。

 そして、この信頼に、主なる神は応えて下さった。いよいよイサクを屠ろうとした時、主なる神はアブラハムに語りかけた。

「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」(12節)。

 そして、イサクの代わりに献げる雄羊をアブラハムに与えられた(13節)。

 信仰とは、主なる神に対する全幅の信頼である。だからこそ、にわかに理解出来ないような命令であっても即座に従うことが出来、最も大切なものを献げることが出来る。そして主なる神は、信頼する者に豊かな祝福を約束される。

「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである」(16~18節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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