聖書日課 創世記20章(新共同訳 旧約pp.27-29)
アブラハムがゲラルに滞在していた時(1節)、自分の妻サラのことで恐れを抱き、「これはわたしの妹です」と言った。すると、ゲラルの王アビメレクはサラを召し入れてしまった(2節)。当時、夫を殺して妻を奪い取るようなことが頻繁にあったため、アブラハムは、サラが自分の妻であることを隠して妹と言ったのである。
しかし、そういう現実があったにせよ、やはりこれは、アブラハムの弱さから生じた問題であった。
「アビメレクはそれから、アブラハムを呼んで言った。『あなたは我々に何ということをしたのか。わたしがあなたにどんな罪を犯したというので、あなたはわたしとわたしの王国に大それた罪を犯させようとしたのか。あなたは、してはならぬことをわたしにしたのだ』。アビメレクは更に、アブラハムに言った。『どういうつもりで、こんなことをしたのか』。アブラハムは答えた。『この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです』」(9~11節)。
アブラハムは、「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです」と言っている。しかし、たとえその土地の人々が傲慢で罪深い人達であったとしても、主なる神が全てを支配しておられることに変わりはない。人が信じようが信じまいが、主なる神は神として臨在される。
この時、アブラハムは、主なる神を仰ぎ見ることが出来なかった。主なる神を信頼するよりも、目の前の現実に恐れを抱き、人間的な手段で何とかしようとしてしまった。勿論、だからと言って、アブラハムが主なる神への信仰を捨ててしまったということではない。信仰者であっても、恐れや不安を覚えることはある。
だから、大切なのは、恐れや不安に駆られて早急な判断をしたり、行動を取ったりしないことである。そして、主なる神を見上げ、主なる神に信頼し、導きと平安をいただくことである。
「どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように」(詩編29編11節)。
西原新生バプテスト教会
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