聖書日課 創世記19章(新共同訳 旧約pp.25-27)
アブラハムの必死の執り成しにもかかわらず、ソドムの町には10人の正しい人さえ見つけることが出来なかった。そのため、遂にソドムは滅ぼされることになってしまった。
では、アブラハムの執り成しは無駄だったのだろうか? 決してそのようなことはない。ソドムの町が滅ぼされた時、主なる神はロトとその家族を救うために御使いを遣わされた。
「夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。『さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう』」(15節)。
ロト一家が救われたのは、主なる神が「アブラハムを御心に留め」られたからである。たとえソドムの町が滅ぼされても、ロトとその家族はすんでのところで滅びを免れた。それは、アブラハムの執り成しの祈りに、主なる神が答えて下さったからである。
「こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された」(29節)。
とはいえ、これは、アブラハムが激しい祈りをもって主なる神を動かし、そうさせたということではない。時折「祈り倒す」というような表現を耳にすることがあるが、主なる神は決して私達に祈り倒されるような方ではない。
アブラハムは主なる神にこう祈った。
「正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか」(18章25節)。
これが主なる神に対するアブラハムの理解であった。彼は、このような方として主なる神に全幅の信頼を置いていた。そして、主なる神は、このようなアブラハムの〈信頼〉に喜んで答えて下さった。主に対する正しい理解と全幅の信頼に、主なる神は必ず答えて下さる。
「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる」(エレミヤ書17章7節)。
西原新生バプテスト教会
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