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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ペトロの手紙二3章

聖書日課 ペトロの手紙二3章(新共同訳 新約pp.439-440)

 最初期のキリスト者は、明日にでもイエス・キリストが再臨することを信じ、期待しながら生きていた。ところが、今日か明日かと待ち望んでいたのに、一向にイエス・キリストが来られる気配がなかった。おまけに、迫害がますます激しくなり、偽教師が出現して多くの人が真実の信仰から離れていった。そのような中、人々は次第に「主はいつ来られるのだろうか?」「再臨なんてないんじゃないか?」という不信感を抱くようになっていった。

 そのような人々に、ペトロは次のように語りかけた。

愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」(8節)。

 私達は、自分の考える基準で、遅いとか早いとか言う。しかし、主なる神の基準は、人間の基準と全く違っている。信仰とは、自分の基準を主なる神に押し付けるのではなく、主なる神の基準に立って物事を見、また受けとめることである

 また、ペトロはこうも述べている。

「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」(9節)。

 イエス・キリストがすぐに来られないのは、主なる神の忍耐と猶予の故である。主なる神は全ての人間が悔い改めて救われることを願っておられる。だから、ペトロは「わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい」(15節)と語っている。

 御言葉ははっきりと、また繰り返し、イエス・キリストの再臨を約束している。しかし、主の再臨は、暗い夜が次第に明けるように、何らかのはっきりとした予兆があって、その日が分かるというようなものではない。「主の日は盗人のようにやって来ます」(10節)とあるように、突然、思いもよらない時に来る。それ故、私達にとって大事なことは、いつ再臨の日が来ても、慌てたり恐れたりすることのないように、常に備えて生きることである。

「このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい」(11~14節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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