聖書日課 テモテへの手紙二2章(新共同訳 新約pp.392-393)
「キリスト・イエスにおける恵みによって強くな」るとは(1節)、イエス・キリストに全幅の信頼を置き、全てを委ねて生きることである。自分の力や計画によって生きるのではなく、いつも主なる神の御心と力に拠り頼み、御言葉に聞き従って歩むことである。そうすることで、私達は初めて「キリスト・イエスの立派な兵士」(3節)となることが出来るとパウロは教えている。
私達は果たしてこのような意味で強くなっているだろうか。主イエス・キリストに全幅の信頼を置いて生きているだろうか。自分の力や計画ではなく、主なる神の御心と導きに喜んで聞き従って歩んでいるだろうか。暫く考えさせられた。
大切なのは、自分の力と努力によって、強くなったり立派になろうとすることではなく、イエス・キリストの強さに全幅の信頼を置いて、御心に聞き従うことである。しかし、しばしば私達は、この点でストップしてしまっていることはないだろうか。
パウロは言う。
「次の言葉は真実です。『わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、/キリストと共に生きるようになる。耐え忍ぶなら、/キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、/キリストもわたしたちを否まれる。わたしたちが誠実でなくても、/キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を/否むことができないからである』」(11~13節)。
私達が「キリストと共に生きる」ためには、まず「キリストと共に死」ぬ必要がある。人間の力や計画に拠り頼むことをやめて、一切をイエス・キリストに委ね、イエス・キリストの導きに聞き従うことが大切である。その時、私達は「キリストと共に支配するようになる」。
私達は「キリストを否」んではいないだろうか。もし私達が「キリストを否むなら」、「キリストもわたしたちを否まれる」。私達は「キリストと共に死ん」でいるだろうか。そうすれば、「キリストと共に生きるようになる」。
西原新生バプテスト教会
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