聖書日課 コリントの信徒への手紙二4章(新共同訳 新約pp.329-330)
昔の素焼きの器には所々欠けがあり、水を入れてもそこから洩れ出すことがあった。
私達も、主なる神の目から見れば、様々な欠陥や弱さを持っている。私達の体は弱く、外から攻撃を受けたら、一溜まりもない。また、病気や怪我で思うように行動出来ない不自由さを、誰もが経験する。そして、私達の心も、揺れ動き、浮き沈みの激しい弱いものである。
しかし、主なる神は、そのような「土の器」である私達に、主なる神の栄光の「宝」を与えて下さった。イエス・キリストが私達の内に住んで下さっている。
「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(7節)。
主なる神は、いつか「塵に返る」「土の器」に(創世記3章19節)、尊い「宝」を「納めて」下さった。それは、「土の器」には出来ないことを、主なる神が「土の器」を通して行われるためである。
パウロは、福音を伝える度に多くの苦難に直面した。しかし、その度に「イエスの命」が彼の「体」において「現れ」た(10節)。彼は「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされ」なかった(9節)。また、「イエスのために死にさらされ」る度に(11節)、福音を聞いた人々の「内には命が働い」た(12節)。彼は、この「並外れて偉大な力が神のもの」であり、「わたしたちから出たものでない」という結論に到った(8節)。
キリスト者は主なる神の栄光を入れた「土の器」である。私達は弱く脆い存在であるが、主なる神の栄光は、しばしば、私達の欠けた部分から輝き出て、周りの人々を照らす。私達の内におられるイエス・キリストこそが測り知れない力の源である。弱さを感じる時、私達の内に住まわれるイエス・キリストに目を向けよう。イエス・キリストが私達を通して働いて下さる。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス