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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨハネによる福音書11章

聖書日課 ヨハネによる福音書11章(新共同訳 新約pp.188-191)

 11章には、ラザロの死と蘇りの奇跡が記されている。

 ラザロの姉妹達は、イエス・キリストのもとに人を遣わし、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と伝えた(3節)。

 ラザロが病気で死にかけているという知らせが届いた時、イエス・キリストは、「なお二日間同じ所に滞在された」(6節)と聖書は記している。そのため、イエス・キリストがラザロの家に到着した時、「ラザロは墓に葬られて既に四日もたって」(17節)しまっていた。

 時既に遅し! ラザロの姉妹マルタは、イエス・キリストを迎えに出て、こう言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(21節)。妹のマリアも、イエス・キリストの足もとにひれ伏して同じことを言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(32節)。

 ここには、「死んでしまったらもう遅い! もうおしまいだ!」という絶望と落胆の思いが込められていた。泣き崩れる人々を御覧になったイエス・キリストは、憤りを覚え(33節)、涙を流された(35節)。

 しかし、この時イエス・キリストは言われた。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(25~26節)。

 そして、ラザロの墓の前に立ち、石を取りのけさせて、大声でこう言われた。「ラザロ、出て来なさい」(43節)。すると、忽ちラザロは蘇り、手と足を布で巻かれたまま出て来た(44節)。

「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」(4節)。

「マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」(5節)イエス・キリストは、その言葉通り、この病気を「死で終わるものではない」「神の栄光のため」の機会とされた(4節)。死の絶望を打ち破って、ラザロを蘇らされた。

 イエス・キリストは、死の現実に絶望し、「もう遅い! もうおしまいだ!」と泣き崩れる人々の所に来られ、絶望を打ち破る奇跡を起こして下さる。このイエス・キリストに信頼し、聞き従って生きるなら、私達も絶望から解放されて生きる者とされるイエス・キリストは今も、絶望の中にいる人に呼びかけておられる。「ラザロ、出て来なさい」と。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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