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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 コリントの信徒への手紙一13章

聖書日課 コリントの信徒への手紙一13章(新共同訳 新約p.317)

 愛と比べられる賜物は存在しない。どれほど重要で不思議な賜物であっても、「愛がなければ」無意味である。愛のない異言は「騒がしいどら、やかましいシンバル」(1節)のような雑音に過ぎない。「愛がなければ」「預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも」「無に等しい」(2節)。更に、「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも」「わが身を死に引き渡そうとも」「愛がなければ」「何の益もない」(3節)。動機が愛でないなら、何をしても無益である。

 愛は、「忍耐強」さから出発し(4節)、謙遜や節制を通して他の人への関心や配慮として表れる。また、愛は、「自分の利益」や気分ではなく、「真実」に基づいて行動する(5~6節)。そして、愛は、主なる神に望みを置き、「すべてを忍び、すべてを信じ」、どんな逆境でも最後まで耐え忍ぶ(7節)。

 ギリシア語の原文を見ると、「愛」(アガペー)という言葉の前に定冠詞が付いている。英語で言えば“the”である。だから、ここでパウロは、愛一般についてではなく、特定の愛について語っている。「〈この愛〉は忍耐強い」「〈この愛〉は情け深い。ねたまない」「〈この愛〉は自慢せず、高ぶらない」「〈この愛〉は決して滅びない」(8節)。

 私達は寛容を装うこと、謙遜を装うこと、親切を装うことがある。私達は、そのような見せかけの愛、偽物の愛しか持っていない。しかし、そのような私達の罪を赦し、真理によって導いて下さる方がいる。そのような私達を耐え忍び、そのような私達に期待する方がいる。

 御子イエス・キリスト〈この愛〉を受け、〈この愛〉に生かされ続け、〈この愛〉をいつも心に抱く時、私達も〈この愛〉に生きる者へと変えられていく。具体的な生活の場で憎しみや利己心を克服することへと導かれていく。

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(13節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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