聖書日課 コリントの信徒への手紙一12章(新共同訳 新約pp.315-317)
コリント教会の信徒達は、賜物の豊かな人々だった。しかし、彼らの間には不一致があり、争いが絶えることがなかった。そのため、パウロは次のように教えた。
「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です」(4~6節)。
賜物の違いに目を留めるのではなく、賜物の源である唯一の主なる神に目を向けることが大切である。そもそも、主なる神が見えなくなっているからこそ、争いが起こっているとも言える。主なる神から目を離してはならない。
また、パウロは、賜物が与えられた目的に注目させている。
「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています」(7~10節)。
賜物は、一人一人を目立たせるためではなく、一人一人の賜物が生かされて、「全体の益となるため」に与えられている。つまり、互いに仕え合うことの中にこそ、賜物が与えられた意味がある。仕える心を持たないなら、賜物は役に立たないだけでなく、争いのもとにさえなってしまう。
コリント教会の信徒達には、このような理解と視点が欠けていた。そのため、どちらが偉いとか、どちらが強いとか言い争っていた。それ故、パウロは、次のように問いかけた。
「皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい」(29~31節)。
「もっと大きな賜物」…それが次章に記されている「最も大いなるもの」(13章13節)である。
西原新生バプテスト教会
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