聖書日課 使徒言行録11章(新共同訳 新約pp.234-236)
11章には、アンティオキアで最初の異邦人教会が生まれた出来事が記されている。主なる神が異邦人にも救いの道を開かれたことは、使徒ペトロに与えられた幻によって既に確認されていた。しかし、アンティオキアの「うわさがエルサレムにある教会」に伝えられると、エルサレム教会は「バルナバをアンティオキアへ行くように派遣した」(22節)。
バルナバは、最初期の教会の歴史の中で、とても重要な働きをした人物である。ペトロやパウロのようなリーダーではなかったが、「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ち」(24節)、使徒達をはじめ教会全体から信頼され尊敬されていた。
バルナバの名前が初めて登場するのは4章36節である。彼は「キプロス島生まれ」の「レビ族の人」で、本名は「ヨセフ」であったが、「使徒たちからバルナバ――『慰めの子』という意味――と呼ばれていた」。バルナバは「持っていた畑を売り」、その代金を献げた。この11章では、最初の異邦人教会が誕生したアンティオキアに行って、この教会に注がれていた「神の恵み」を確認すると共に、「固い決意をもって主から離れることのないよう」励まし(23節)、「多くの人を主へと導」いた(24節)。
更に、バルナバはタルソスからサウロ(パウロ)を連れ帰り、丸1年の間多くの人々を教え導いた(25~26節)。それは、異邦人への使徒としての召命を受けていたサウロにとって、良い訓練の時となったに違いない。
その後、バルナバはサウロと共に、アンティオキアから第1回宣教旅行に出かけた。この宣教旅行の間、サウロは、豊かな賜物を発揮し、世界宣教の第一人者となっていった。このように、使徒パウロの登場と活躍の背後には、バルナバの献身的な支援と温かい配慮があった。
そして、このバルナバによって支えられ育てられた人物がもう一人いる。それは後にマルコによる福音書を著したヨハネである。彼は第1回宣教旅行の途中で帰ってしまったため(13章13節)、第2回宣教旅行の際、パウロに同行を反対された(15章38節)。しかし、バルナバが彼を引き連れて、パウロとは別ルートで行くことになった(同39節)。やがてマルコは、パウロやペトロを助ける立派な伝道者となるが(テモテへの手紙二4章11節、ペトロの手紙一5章13節)、マルコの成長に関しても、バルナバが重要な役目を果たした。
「慰めの子」バルナバは、多くの人を慰め、励まし、支え、育てることによって、教会の発展と世界宣教に大きく貢献した。とても心惹かれる人物である。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉