聖書日課 出エジプト記27章(新共同訳 旧約pp.138-139)
聖所と至聖所を隔てる「垂れ幕の手前」には、純金で作られた「常夜灯」が置かれていた。常夜灯には、「夕暮れから夜明けまで」火が灯された。そして、その火が消えないように、祭司達が一晩中「守る」ように命じられている。
「あなたはイスラエルの人々に命じて、オリーブを砕いて取った純粋の油をともし火に用いるために持って来させ、常夜灯にともさせなさい。常夜灯は臨在の幕屋にある掟の箱を隔てる垂れ幕の手前に置き、アロンとその子らが、主の御前に、夕暮れから夜明けまで守る。これはイスラエルの人々にとって、代々にわたって守るべき不変の定めである」(20~21節)。
夜にも常に光があるように、即ち、幕屋が闇に包まれることがないように、代々にわたって守られていた。
幕屋は、主なる神の住まいであり、主なる神の臨在が現される所である。主なる神の臨在がある所には常に光があり、闇に包まれることは決してない。それが常夜灯によって示された教えである。
新約聖書において、光は、第一に、主イエス・キリストを指し示している。イエス・キリストは言われた。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネによる福音書8章12節)。
主イエス・キリストは世の光であり、イエス・キリストに従う者は暗闇の中を歩むことはない。光であるイエス・キリストに従うなら、暗闇の中を歩むことはない。道は明らかに示されている。
第二に、光はキリスト者を意味している。イエス・キリストは言われた。
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(マタイによる福音書5章14~16節)。
キリスト者の存在を通して、人々は「天の父をあがめるようになる」。主なる神を指し示す光として、キリスト者はこの世に遣わされ、生かされている。
では、私達は、どのようにして世の光の役目を果たすことが出来るだろうか? それは、常夜灯の火が「オリーブを砕いて取った純粋の油」によって灯されたように、聖霊の油注ぎをいただくことによる以外にない。祈りと御言葉によって、聖霊なる神と親しく交わり、満たされ、導かれることによって、私達の内にキリストが形作られる。この内住のキリストの光によって、私達もまた、世の光として生かされ、導かれ、用いられる。
今、私達の内側には、世の光であるイエス・キリストが輝いているだろうか? 私達は、世の光イエス・キリストと共に、イエス・キリストに従って歩んでいるだろうか?
西原新生バプテスト教会
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