ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 マタイによる福音書11章

聖書日課 マタイによる福音書11章(新共同訳 新約pp.19-21)

 バプテスマのヨハネが現れて、人々に悔い改めを説いた。しかし、多くの人々は、ヨハネの言葉に耳を傾けることもなく、却って「あれは悪霊に取りつかれている」とヨハネを批判した(18節)。

 次に、イエス・キリストが現れて、天の国の福音を説いた。しかし、やはり多くの人々は、イエス・キリストの語る言葉に耳を傾けることはなく、却って「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」とイエス・キリストを嘲った(19節)。

 これは、イエス・キリストの時代も、今の時代も全く同じである。今や、世界中で福音が説かれている。しかし、本当に福音に耳を傾けて聞き従う人は少ない。私達の国が、まさにそういう国であると言えるだろう。

 しかし、よく考えてみると、イエス・キリストの時代に問題とされているのは、主なる神の選びの民であるイスラエルの人々である。「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった」(17節)のは、異邦人や異教徒ではなく、選ばれて神の民となった人々、主なる神の御言葉をいただいている筈の人々だった。

 それを今の時代に当てはめると、どうなるだろうか。それは、イエス・キリストを信じて救われたキリスト者、そしてその群れである教会ではないだろうか。神の民の中に住み給う聖霊なる神は、今日もキリスト者の心に語りかけておられる。また、聖霊なる神は、キリストの体である教会を導き、強め、建て上げるために、今日も働いておられる。その御声に、私達はどれほど耳を傾け、従っているだろうか。

 イエス・キリストは、今日も、私達にこう呼びかけておられる。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(28~29節)