聖書日課 ゼカリヤ書3章(新共同訳 旧約pp.1482-1483)
「主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、その右に立って彼を訴えようとしているサタンをわたしに示された。主の御使いはサタンに言った。『サタンよ、主はお前を責められる。エルサレムを選ばれた主はお前を責められる。ここにあるのは火の中から取り出された燃えさしではないか。』ヨシュアは汚れた衣を着て、御使いの前に立っていた」(1~3節)
これはゼカリヤが見た4番目の幻である。
天における法廷で、主の御使いの前に汚れた衣を着た大祭司ヨシュアが立たされ、その右隣で、サタンがヨシュアを訴えようとしていた。サタンは、いつも人の欠点や汚点を取り上げて訴える存在である。「お前なんてダメだ!」「お前は汚れている!」「神様は、そんなお前に怒っておられる!」と。
しかし、この時、主の御使いは「サタンよ、主はお前を責められる。エルサレムを選ばれた主はお前を責められる」と告げた。サタンは人の汚点を責めるが、主なる神はサタンの罪と悪を責められる。そして、大祭司ヨシュアに対しては、こう言われた。
「御使いは自分に仕えている者たちに向かって言った。『彼の汚れた衣を脱がせてやりなさい。』また、御使いはヨシュアに言った。『わたしはお前の罪を取り去った。晴れ着を着せてもらいなさい。』また、御使いは言った。『この人の頭に清いかぶり物をかぶせなさい。』彼らはヨシュアの頭に清いかぶり物をかぶせ、晴れ着を着せた」(4~5節)
たとえサタンの目、人の目には、汚れた者であっても、主なる神はヨシュアの罪を赦し、汚れを取り除いて「晴れ着を着せ」、頭には「清いかぶり物」をかぶらせた。そして彼を「わたしの家を治め、わたしの庭を守る者」(7節)、即ち祭司として用いると約束して下さった。
私達も同じではないか。罪ある者、汚れた者であった私達のために、「若枝」(8節)と呼ばれた主イエス・キリストが来て下さり、「一日のうちにこの地の罪を取り除」(9節)いて下さった。そして、私達を祭司としてお用い下さり、人々に救いと祝福をもたらす役目を果たす者として下さる。
それ故、たとえサタンが「お前はダメだ!」と責め立てたとしても、決して落ち込む必要はない。私達の罪と汚れを取り除き、清いかぶり物をかぶせて下さる主がおられる。主は、イエス・キリストの故に、罪ある私達を責めることはない。私達を責め立てるサタンを責められる。