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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ダニエル書3章1~12節

聖書日課 ダニエル書3章1~12節(新共同訳 旧約pp.1383-1384)

要約
 ネブカドネツァル王が金の像を造り、ドラの平野に建てた。全高官を除幕式に出席させ、楽器の音が聞こえたら、金の像を拝むように命じた。シャドラク、メシャク、アベド・ネゴが拝まないので、カルデア人が王に訴えた。

(1) 金の像の除幕式(1~7節)

 先立って、ネブカドネツァル王は、ダニエルの神は「すべての王の主」であると告白した(2章47節)。しかし、その告白は唇だけの告白に過ぎなかった。王は主なる神がダニエルを通して行われたことを忘れ、偶像を作って礼拝する、世の風習に戻ってしまった。ネブカドネツァル王は、「ドラという平野」「金の像」を建てて「除幕式」を執り行い、各種の「楽器による音楽が聞こえた」時、「金の像の前にひれ伏して拝」むように命じた。そうしなければ、「直ちに燃え盛る炉の中に投げ込まれる」と厳命を下した。王の命令を恐れた「諸国、諸族、諸言語の人々」は、「金の像」の前にひれ伏して「拝んだ」。主なる神の御力を一度経験したからといって信仰の人になるわけではない。信仰は、主なる神の御言葉に耳を傾けて従い続ける者に与えられるものである。

 信仰の試みが生じた時、どうしますか。あなたの信仰を嘲笑う人々を憐れみ、その人を愛によって抱いて祈りますか。

(2) 訴えられる3人の少年(8~12節)

 信仰を守ろうとすれば、世の人々の訴えと「中傷」を受けることがある。しかし、神の国を見上げ、義のために迫害される人は幸いである。シャドラク、メシャク、アベド・ネゴが除幕式で「金の像を拝もうとし」ないと、カルデア人が王に彼らを訴えた。カルデア人は、ユダヤ人の捕虜が高官に就いたことを妬ましく思っていたのである。3人は、「金の像」を拝まなければ「燃え盛る炉に投げ込まれる」ということを知りながらも、拝まなかった。彼らは「バビロン州」を司る権力の座に就いていたが、主なる神への信仰を捨てなかった。この世で神の国の民として信仰を守って生きるのは決して易しいことではない。しかし主なる神は、信仰を守るために苦難をも厭わない聖徒を尊く扱って下さる。

 この世と適当に妥協して信仰を捨てたことはありませんか。神の子供として信仰を守って生きるために、どんな代価を払いますか。

祈り
 一切の不純物が混ざることなく、きよく生きることを願います。迫害や誘惑、困難が伴うとしても、世のものを拒み、ただひたむきに主に従う者となることが出来ますように。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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