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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ダニエル書3章13~23節

聖書日課 ダニエル書3章13~23節(新共同訳 旧約p.1384)

要約
 王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴにもう一度機会を与え、金の像を拝まないなら、火の燃え盛る炉に投げ込むと警告したが、彼らは断固として拒否した。怒った王は、普通より7倍熱くした炉に3人を投げ入れるように命じた。

(1) そうでなくても(13~18節)

 純金のような信仰とは、どんな状況にあっても揺るがず、主なる神だけに拠り頼む信仰である。「金の像を拝まな」かったシャドラク、メシャク、アベド・ネゴについて聞いた「ネブカドネツァル王は怒りに燃え」、彼らを「連れて来るよう命じ」た。王は彼らにもう一度機会を与え、「もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込」むと警告した。王は自分がまるで彼らの命を支配する神であるかのように思っていた。しかし、王の脅かしの前でも、3人は生きておられる神が「燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができるし、必ず救ってくださいます」と告白した。更に、彼らは、たとえ主なる神が救い出して下さらなくても、絶対に「金の像を拝むこと」はしないと言った。たとえ火の燃える炉に投げ込まれて死んだとしても、主なる神への信仰を捨てないという信仰、これこそが殉教的信仰である。

「そうでなくても」の信仰を持って生きていますか。彼らのように、御言葉と共に苦難を受ける生き方を選択出来ますか。

(2) 燃え盛る炉に投げ込まれた3人(19~23節)

 御言葉に従って生きようとする聖徒は苦難と迫害を受ける。そのような時、生きて働かれ、私達の無念を晴らして下さる主なる神を仰ぎ見なければならない。ネブカドネツァル王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすよう」命令した。結局、3人は「衣服を着つけたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた」。炉は非常に熱く、3人を連れて来た者が「焼き殺」されるほどだった。主なる神の御言葉に従って生きる時、苦しみの長いトンネルの中に入り込んでしまうことがある。御言葉に従い、偶像の前にひれ伏さなかった3人にも、苛酷な火の試みが迫った。信仰の目的は主なる神おひとりだけであることを覚え、天の報いを求めて苦難の中で最後まで耐え忍ぼう。

 火の試みのような骨身に沁みる苦しみの中でも耐え忍び、信仰を守りますか。主なる神への信仰と忍耐を試みるのはどのようなことですか。

祈り
 幼い子供のように、幼稚で臆病で卑怯な時があります。信じ、従い、祈ったにもかかわらず主が答えて下さらない時、ただ黙って従うことが出来ますように。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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