ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 エゼキエル書44章

聖書日課 エゼキエル書44章(新共同訳 旧約pp.1369-1371)

 新しい神殿における祭司の務めについて記されている章である。祭司は、神殿での礼拝を導き、献げ物をささげ、そうして主なる神と人の交わりを結び、回復する役目を果たす人々だった。それらの中でも、特に大切な務めが23節に教えられている。

「彼らは、わたしの民に聖と俗の区別を示し、また、汚れたものと清いものの区別を教えねばならない」(23節)。

 聖と俗、汚れたものと清いものの区別とはどういうことだろうか。それは単に衛生上のことではなく、また儀式的なことでもない。最も大切なことは、主なる神の御言葉に従っているかどうかということにあった。つまり、主なる神の御言葉に聞き従うこと、それが聖と俗、汚れと清さの基準である。

 それはまた、主なる神との交わりの中にいるかどうかということを意味していた。主なる神を愛し、信頼し、いつも主なる神の恵みと愛のもとにい続けること、それが真に自分を清く保つ道であり、聖なる者として生きることである。

 祭司は他の部族のように自分の土地を持つことはなかった。それは、「わたしが彼らの嗣業である」(28節)とあるように、この世の土地ではなく、主なる神ご自身が彼らの財産となって下さったからである。

 主なる神だけに頼り、主なる神との繋がりと交わりの中に生きる祭司は、この世のものに頼る道を一切断ち切ることが求められた。勿論、それはこの世と一切関わりを持たないということではない。この世の中にあって、主なる神を第一として生きること、即ち、移り行くこの世のものによって振り回されずに、常に主なる神を見上げ、主なる神に拠り頼んで生きることである。その時、主なる神は私達の人生を最良のもので満たして下さる。